■年末恒例、ダボハゼの会の例会に参加。小学校、中学校の先生方の実践を聞く。「それぞれの違いを認めあえる」という言葉が何度か聞かれ、ふと、それでいいのかと疑問が湧く。
■違いがあるのは間違いない。仕方ない。だが、クラスになじまない子がいたとして、「違いがあるのだから受け入れよう」という指導は、その子を「異質なもの」として固定しないだろうか。「誰しもおなじところがあるよね」という指導もいるんじゃないか。
■なんてことを考えていたら、帰宅後、大田堯の訃報を知る。違っていいではない。人はそもそも違うのだと大田堯は主張していた。冬休みのあいだにあらためて著書を読み直そう。