漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

愛情ノルマはいらないが

東京新聞に「子どもの写真 飾ってますか『ほめ写』で自己肯定感↑」なる記事が載っていた。

■俺は自分の写真を見るのが大好きな子供だった。正確には、アルバムのはしに書かれたコメントを読むのが好きだった。俺は生まれてすぐ手術したのだけれど、そのときの写真にはこんなことが書いてある。「これから手術。契太くん、がんばれ!」

■別のページには、話せるようになった俺のおしゃべりが記録してある。「らいおんのじおじおのご本読んで」「ご本を踏んでダメだねー」。CMの真似をしたりもしていたらしい(それにしても、ずいぶんていねいな言葉遣いをする子だったんだな)。

■おなじアルバムを飽きずに何度も何度も繰り返し見た。外出先の、家の中の、春の、夏の、秋の、冬の、晴れた日の、雨の日の、雪の日の、たくさんの写真があった。言葉にせずとも、目をかけられ手をかけられて育ったことは自然とわかる。それは少なからず自分に自信を与えたろう。「写真は子供の自己肯定感を高める」。記事を読むまでもなく、ずっとそう思っていて、だから口にしなかった。

■だって、間に合わないのだ。誰もがたくさん写真を撮ってもらっているわけではない。そのとき家庭がどんな状況だったかで変わる。親の仕事にもよる。第一子か第二子かでだって違う。あとからそんなことを言われても、過去に戻ることはできない。

■「写真は子供の自己肯定感を高める」はすぐ「子供の自己肯定感を高めるために写真を飾ろう」へ変質する。「もっと撮っておけば」という後悔を生み、「もっと撮らねば」という強迫観念を生み、「こんなに撮ったのにどうして」という恨みを生む。そんな愛情ノルマには加担したくない。「ほめ写」じゃねーよ。よけいなこと言うな。

■とはいえ、自分の成長を折りにふれ確認できるのは悪くない。ひとりで、何度でも見られるものだとなおよい。押しつけられたんじゃなく、自分が勝手に見て納得するのが肝要なのだ。漂流教室立ち上げ時に考えていた「自分ボックス」はそれだった。ノルマを課さず、無理させずやれる仕組みはないものか。いや、そもそも子育てしやすい環境を整備しなさいって話なんだけれども。