漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

一つ目の怪物

■『ヒミズ』−作・古谷実。2001年から2003年にかけて『週刊ヤングマガジン』で連載。コミックス全四巻。

ヒミズ コミック 全4巻 完結セット (ヤンマガKC )

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■中学三年生の男子が主人公。母とふたりで貸しボート屋を営んで暮らしている。自分の才能にも将来にも期待を抱かず、「平凡に生きる」ことだけを望む主人公。だが突然、母親が蒸発。さらに父親がつくった借金の返済を求めて暴力団が押しかけ、必死で守ってきた「普通の生活」が徐々に崩れていく。それでもぎりぎりで留まろうとしたところに父親が金の無心にあらわれ、感情が爆発。衝動的に殺してしまう。

■父親を殺し「普通」から完全に足を踏み外した主人公は、せめて自分の命を意味あることに使おうと悪人探しを始める。バカがバカを殺す。自分は悪いほうへ「特別」になってしまった。だったら、そんな「特別」な自分にこそできることがあるのではないか。だが、手の届くところにいた悪人はするりと逃れてしまう。「普通」に生きることも「特別」に生きることもかなわない。結論からいうと主人公は死を選ぶ。

■死ぬ直前、主人公は一瞬思いなおす。こんな自分でも生きていていいんじゃないかと。そこへ一つ目の怪物があらわれる。「…やっぱり…ダメなのか?…」と問う主人公に怪物はこう告げる。「もう決まってるんだ」。

■思春期の鬱屈を『さくらの唄』で昇華した俺に『ヒミズ』はわかるようでわからなかった。読んだときはもう30歳だったし。ただ、『さくらの唄』のような勢いでは、いまは生きられないんだなということはわかった。権力の権化のような叔父に夢もあこがれもめちゃくちゃに踏みにじられ、殺害をくわだてた主人公に『さくらの唄』は法外な成功を用意した。だが、『ヒミズ』の主人公は、そんなものは夢物語だと一蹴するだろう。いまがどんなに悲惨でもきっと素晴らしい未来が待っている。そんな言葉を彼は信じない。

■紙袋に包丁を隠し、野宿をしながら悪人探しを続ける主人公の心は揺れる。うどんが食べたい、暖かい布団で寝たいと泣き、このままなにもなかったことにして生きていってもいいのではと煩悶する。自分で自分がコントロールできないかもしれないと恐怖する。だが、彼の持つ倫理と論理はそんな「生への欲求」を許さない。道から外れないよう、常に正しい選択を心がけてきた。だが、自分はもう「普通」ではなくなってしまった。いまさらなんの夢を見る。

■お前は病気で正しい判断ができなくなっている。罪を償って人生をやり直そう。まわりの言葉も彼を変えることはできない。行きつく先はもう「決まってる」のだ。

■一つ目の怪物の正体は心に潜む不安だろう。自分は生きるに足る価値があるのか。いくら考えてもはっきりしたことはわからない。ならば、せめて「普通の生活」を送ろう。そのためにはなにより失点してはならない。そんな綱渡りの不安は、一度のエラーを「あらがえない運命」に変える。シーツが汚れたら洗えばいい。だが、洗ってももとには戻らないと考える人もいる。汚れてしまえばもう終わり。あとは捨てるか燃やすかしかない。

■『麻雀放浪記』で博打はやめるのかと聞かれたドサ健はこう言う。

「いや、やめない。博打を打って、それでお前を養っていくんだ」
「虫がいいのね」
「虫がいいよ。それが人間らしい考えさ」

ヒミズ』連載終了から15年。描かれたテーマは特別なことではなくなった(むしろ『さくらの唄』の方があの時代の空気をたっぷり含んだ特殊な例なのだろう)。なのに、一つ目の怪物を抱えた人に「虫がいい」生き方を伝える言葉をまだ持たない。