漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

はじめに暇があった

Facebookに書いたものの転載なのでちょっと手抜き。でも俺にとってはわりと大事なテーマです。

■「コミュニケーションに必要なものってなんですか」と大学院生に訊かれて「暇」と答えた。

■書籍の普及には鉄路の発達が関わっているらしい。馬車が主要な交通機関だったころは、長い時間せまい車内で過ごさねばならなかった。それで自然と談笑することになったのが、列車の登場により、席を同じくする時間はぐっと短くなった。また、話を始めても、すぐ降りてしまうかもしれない。「いつ出会い別れるかわからない相手と顔をつきあわせて過ごす苦痛な時間」から逃れるため、駅で書籍が売られるようになったと聞いた。

■この傾向は今日も続いている。しかもより加速して。いま言われるコミュニケーションの類はどれも、「限定された場所と時間の中でいかに円滑に他人と過ごすか」というものばかりだ。通りすがりの相手とうまく話す術を、ぼくたちは「コミュニケーション」と呼んでいる。

■中学二年の夏、友人ふたりと青春18キップで旅をした。鈍行を乗り継いで北海道を半分回った。朝から晩まで顔を合わせていれば、いくら仲がよくったって話は尽きる。車窓の景色はどこまでも同じで刺激がない。だからこそ、たまに現れるなにか、鹿とか謎の看板とかで、みな異様なほど盛り上がる。一瞬会話は弾んで、またもとの気だるい空気に戻るが、同じものを見てとても楽しい時間を過ごした、という記憶は残る。

漂流教室のメンタルフレンドもこれに似ている。毎週、同じ部屋にふたりで一時間。目新しい刺激があるわけでもない。暇を持て余すこともある。そこで偶然なにかが起こったら。地震が来た。雷が鳴った。停電が起きた。そんなことで関係は近くなる。(だから、悪天候の日ほど訪問に行った方がいい。なにかが起きる可能性が高い)

■親しくなるきっかけはたいがい偶然による。そして、偶然の作用には、その前の退屈で暇な時間が関わっている。暇を土台に築いた関係があってこそ、通りすがりの相手とも身構えず話したり話さなかったりできるのじゃないか、と俺は思っているのです。