漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

下宿の思い出

■自分が大学4年で卒業できずに家を飛び出て入ったのは、築30年になる北19条の貸部屋の一室。研究室の先輩が卒業して空く所に交代で入ったその部屋は、六畳一間台所付トイレシャワー電話共同月一万五千円也だった。ある日、小学校からの友人宅で彼のお父さんを交えて話していたら、お父さんが学生時代に入っていたという位、歴史のある下宿だ。入居している人の間には、何となく仲間意識があって、部屋を訪れたりすることもある、ゆるーく繋がっている感じのところだった。

■そこに、歳の頃30代後半の短躯でもじゃっとした頭の男性がいた。入居歴は一番長いようだが、どれくらい住んでいるのかは誰も知らない。この人は、毎朝五時頃に起きて「うー」と低いが大きな声で廊下をどすどす歩いて便所へ行くのが日課だった。たまにすれ違った時にあいさつしても返してはくれないので、無愛想だなと思っていた。後日、大家さんと話しているのを見ていて、少し言葉が不自由なのがわかった。当時はそのあたりまでしかわからなかったが、今考えてみると何か福祉制度で支援を受けている人だったのかもしれない。

■その下宿に住んで二年経ったところで、取り壊してワンルームマンションを建てることになり、全員が退去することになった。退去の日には有志でお別れの鍋パーティをやった。「うー」の人は来なかったが、学生や社会人が一堂に集ったそのパーティは今の漂着宴会の雰囲気とちょっと似ていた。多分様々な背景の人を入居させていたのは大家さんの意識が高いからではなく、家賃収入のためだと思うが、今思うと結果としてとても面白い場所になっていたのだと思う。

■こんな思い出のある自分なので、今後の日本に必要なの社会資源の一つは、様々な背景や困難を持つ単身者が一生過ごせるくらいの格安住居ではないかと思っている。都市生活を送る貧困層の増加は避けられないはずだから。それは大量に必要で、多分集合住宅になるだろう。

■そこでシェアハウスのことを考えると、「意識高い人の集う住まい」というフィルターがあるように思えて、ひっかかる。フィルターは少なければ少ない方が入居しやすいだろう。下宿には家賃というフィルターが既にあるのに、何故更にフィルターを入れるのかはわからないので知りたいね。

■夕方、10月13・14日に行われる全道の集いの打ち合わせに出席。アイスブレイクのネタを考えなければならぬよ。