漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

向こうから見れば

■突然、上田市長が漂着教室にやって来て驚いた。星園全体の視察に来たらしい。以前と比べてどうですか、と訊かれたので、いいこと悪いこと半々くらいですね、と答えた。あくまで漂着教室限定。アウ・クルと星園の比較は、全体会議もまだなので保留です。


■ところで、(最近では)珍しくよそのことに口を出す。訪問ではナイフを持ち出されることもあります、とわざわざ防刃チョッキ見せて講演する「ひきこもり支援団体」があるらしい。何人かから同じ話を聞いたのでホントに見せてるんだろう。

漂流教室を始める前にあちこち挨拶に行った。そこで「刺されることもありますからねー」と笑顔で脅されたりしたので、ナイフの例には驚かない。驚かないが、それにしたって、なんの理由もなくナイフを持ち出すわけじゃないだろう。“それくらい”訪問に脅かされたってことじゃないのか。訪問した側の危機を語るなら、された側の危機にも思いを馳せようぜ。

■講演を直接聴いてないが断言しましょう。この団体は自分が脅かした命があるなんて気づいてない。または、気づいても、「ひきこもりが社会に復帰するため“それくらいは”踏みにじってもいい」と考えているか、どっちかだ。そうじゃなきゃ、これ見よがしに防刃チョッキなど見せびらかさない。

■訪問する側には防刃チョッキは“防具”かもしれないけど、される側から見たら“武装”だよ。武装した人間がやって来て怯えないわけないじゃん。大変な思いをして活動してるのは分かる。だから着るなとは言わないが、着るなら脅してる自覚は持って欲しい。話すなとは言わないが、話すなら自省もともに話してくれ。なんかね、自分のことばっか考えてるように見えんだよ、どうしても。

漂流教室ではしつこく本人の了解を得るが、それだってまだ安心できない。「侵入者」なので。向こうから見りゃ。このやり方だけで片がつくとは思ってないけど、こっちの都合で押すのは好みじゃないのさ。まして自慢げに語るなんてかっこわるいんだもん。


■昨日の日誌はねー。そうなんだよねー。「ひとり」になるのはなかなか大事なんですよ。他人は他人。自分は自分。そうやって分けて、ようやく人付き合いの最初だよね。まあ、分けるためには一度「くんずほぐれつに一緒になって行動する時期」というのも要るんだけどさ。さすがに最近、くっつき過ぎて疲弊してきたようだから、ちょっとずつ離れるかもしれない。

■呟きボタンといいねボタンをつけてみた。お遊び。まだ。