漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ケス

ケス

「ケス」という映画を観た。途中からだったが大変面白かったので、原作も借りて読んだ。訳者の小細工が少々煩わしかったが、これまたとても面白かった。筋はいたってシンプルだ。1960年代イギリスの炭坑町。主人公は15歳の少年。父親は蒸発、貧困家庭に育つ。家でも学校でも虐げられている。何事にも関心がなく、将来の希望もない。それが、ある日手に入れたハヤブサの雛を育てるうちに、次第に変わっていく様子が描かれる。「ケス」とはそのハヤブサの名だ。

■思春期に入って、「自分」を考えるようになると同時に、人は「孤独」を発見する。周りとどうしても違う、ということが「自分」の発端だから、それは避けようがない。だが、孤独と向き合うのは案外大変なことでもある。それにひとりは寂しい。味方が欲しいときもあるだろう。だが、他人と違う、ということがそもそもの始まりである以上、人間の味方は望めない。物や動物、物語などに限られる。ただの物や動物ではない。自分の憧れや理想を映すものだ。

「ケスはペットじゃない。こう聞く人もいる。飼い慣らしたの? 飼い馴らすなんて無理さ。獰猛で超然とした鳥なんだ。僕さえ気にかけない。だから凄いんだ。僕は姿を見て、空に飛ばせれば満足だ。インコとは違うんだから。今だって姿を見させて貰ってるんだ」

■成長して、「孤独」に耐え得る力がついたとき、この関係は終わりを告げる。または、映画の少年のように、外からの理不尽な力で引き裂かれるときもある。しかし、引き裂かれたとはいえ、ケスの存在があったのは、彼にとって幸福だった。大人になるためには、どうしたって「孤独」には耐えねばならない。ケスがいたからこそ、成長の過程をちゃんと踏めたのだ。彼はもう「孤独」も平気なはずだ。

■あちこちで人間関係やコミュニケーションの重要性が語られるが、きちんと「孤独」でいられる時間、というのだって必要だ。「孤独」でいなきゃいけない時期に、あまり人付き合いを勧めないで欲しいと俺は思っている。ひとりでいなきゃいけない時期に、寂しいからと仲間を求めないで欲しいと俺は願っている。「孤独」も悪くない。寂しいのだって悪くない。出会いは大事だが、ひとりでいること、ひとりでいられると知ることだって負けずに大事なのだ。


■札幌は、この1週間で65cmも雪が積もったらしい。今年は雪が少ないと思っていたのが、平年を遥かに超える積雪とか。当然、今日も雪。吹雪と御用納めで渋滞の中、通信作成&訪問3件。これで今年の訪問は全て終わった。あとは送迎1件を残すのみ。

■雪の積もったナナカマドの枝にカラスが1羽とまっていた。白い雪と赤いナナカマドに、カラスの黒がよく似合った。