漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

掻き出す快感

色川武大は『うらおもて人生録 (新潮文庫)』という本の中で、新しい世界に足を踏み入れるときの心構えとして、先ず「眺める」ことを説いています。

俺は新しい世界に入っていったときは、ばくちに限らず、納得するまで眺めることにしている。なかなか本格的には手をおろさない。
眺める、ということはとても大切なことだと俺は思うね。
眺めて、とにかくできうるかぎり、新しいものを、身体にわからせていく。ちょいと小むずかしい言葉を使うと、認識するというやつだな。
(p.132)

ものを眺めるときのコツは、まずはじめに、これ以上は疑ってもしかたがない、という素朴なところまで、できるだけ戻ってみることだね。
わかりきってる、なんて思わずに、ごく当たり前のことを、おさらいしてみるんだ。
(p.144)

できれば当たり前以前のところまで後戻りして下から下からとだんだん押し上げていくんだ。そうしないとね、思い込みをそのまま通過してしまうということもあるしね。
それから、当たり前のことであってもいつも忘れないでいるとはかぎらないからね。物事の原理原則のところにしょっちゅう戻るということは必要なことだよ。
俺たちは飛行機とちがって、計器がないからね。常識だとか道徳だとかいうものは、人々の思い込みが多くて、計器ほど当てにはならない、と思ったほうがいいな。だから、いつもきちんと眺める癖をつけないとね。
(p.145)

■これらはどれも傾聴、受容といった技術に通ずるものがある。相手が何を望んでいるかわからない。わからないまま見込みで動いては、相手を傷つけるかもしれないし、自分も怪我をするかもしれない。だから、先ず相手を仔細に観察する。話を聞き、態度様子をうかがう。相手の邪魔になるから出来るだけ自分は出さない。常識、道徳も持ち出さない。ただ息を殺して観察する。そうして、これだ、と理解した時点で行動に移る。猫科の動物の狩りの仕方に似てる、とたまに思います。

■と、ここ数日、なんだか受容の大家のような書きっぷりで、少々尻がこそばゆい。まだまだこれからも日々勉強だ。

■「脳みそ丸洗いしたーい」という訪問先の子の叫びに、いいこと考えるなあ、と感心する。人間も33年もやっていれば、右脳と左脳の隙間に汚れやら何やらびっしり詰まっているんじゃなかろうか。デンタルフロスみたいなものを差し込んで、ガーッと一気に掻き出したい。後は水で流してすっきり。きっと、すごく気持ちいいと思う。

■しかし、所詮は叶わぬ夢。せめてもの代わりにと、タイヤと車体の間に詰まった雪を掻き出す。寒い日だとガチガチに凍って突いても叩いてもびくともしないのだが、今日の日中は暖かだったので、緩んだところを突き崩して取り除いた。耳掻きにも似て、これはこれで気持ちいい。

■夜は一転、昼間の穏やかな天気が嘘のような猛吹雪。木曜夜はなぜだかいつも天気が悪い。日中の青空に、今日こそは、と思ったのだがやはりダメ。玄関を出たら、いつものように雪の塊となった車がいた。毎回毎回雪をどけるのを手伝ってもらって、実に申し訳ない。


本日の脳内BGM:美しき人間の日々(サンボマスター