漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

犬が三毛の一族

■日を変えた訪問一件。コーチャンフォーに行き、本を購入。資料として購入したので図書費で落としてぇ、と相馬氏に言ったら「また事後承諾かよ」と怒られました。すまん。

■いつものように通信を作っていたら、誤変換に遭遇。

  • 「オイル交換」→「老いる高官」
  • 八つ墓村」→「ヤツは加村」

うはは、と二人で笑っていたが、夜になり相馬氏から「ああっ、間違えた」というメールが。今日の漂流通信に載せた漫画でマネキンが逆さになっているのだが、そのタイトル「八つ墓村」は間違い。元ネタは「犬が三毛の一族」もとい「犬神家の一族」だったというもの。ふぅ。これまで何度も変換して大変だ。

■なんだかんだうち合わせも交えながら、通信印刷を終え帰宅。そしてまた相馬氏とメッセンジャーでやりとりしながらこの日誌を打っているのだった。

コメント欄に返信

■えーと、まず工藤さんに。このブログの方針に関することなので。

あのお、別にギャラリーのために書いてるわけじゃないと思うんですけど・・・。

これについては、ブログ執筆者の山田・相馬が二人で話していたことと高橋さんのコメント

このページに載せている話題、という時点で、ギャラリーのために書いてるとまでは言わなくともギャラリーがいることが前提です

がいみじくも一致していまして。ですから、わかりづらい点に関してはあんみつさんのように尋ねてもらって一向に構いません。というか、それができるのがブログの長所だと思っています。

■次に、めぐさんとOZAWAさんのやりとりについて。これもブログの方針に絡むことなので。

雰囲気で書き込まれると大変に迷惑がかかるところもでてくるのではないでしょうか

迷惑がかかるところがあったとしたら、そこから何かレスポンスがあると思います。その時はめぐさんの

以前親業を齧った時も「受け止めなさい」だった。
子供達に「気持悪い。馬鹿にしてるの?」と言われ元のうるさい母に戻りました

という書き込みについてのことであり、それは当事者同士の話し合いによる解決になると思います。ブログ執筆者としては、コメントを寄せる人自身が自主規制することに口を出すことはできませんが、自分の発言に責任を持つ限りは書きたいように書いていいのではないかと思っています。

■さて、「受容」に関して。
・あんみつさん

この欄で一昨日から登場している「受容」って、訪問やカウンリングの場などの特定の場面で使われる「技術」のことですか?専門用語としての受容?傾聴とか、カウンセリングマインドとか共感的理解とか、色々な専門用語があるようだけど、相馬さんが言っているのは、専門家の技術としての受容じゃなくて、ごく普通の大人や子どもたちも使えるテクとしての「受容」なのよね、きっと?

・めぐさん

カウンセリングを受けて「聞いてくれるだけ」っていうのも、数年経つと物足りなくなります。
余り否定されると、逆切れするけど。
「受容」も修行を積まないと中々うまくいきませんでした。
共感するだけじゃ、駄目みたいな感じ

まず、お二人のコメントを読んで、前日までの話で出ている「受容」「受け止めること」というのが、相手への接し方と捉えられているのかなと思いました。

山田・相馬の話がわかりづらくなっているのは、二人の中では「受容」に関して「話を聞く側の問題であって、相手をどうこうすることではないし相手の有り様に左右されるものでもない」という前提があるためだと思います。「相手の話すことを否定せず受け止めなさい」という言葉にも、自分を守るための技術であるという点が多分にあることを了解しています。その上で、相馬氏はこの言葉から「受容は相手をどうこうするための技術であり、それをやれば相手は(望ましい方向へ)変わるのだ、という誤解が生まれ」ていることに疑問を持ち、自分を守る方法としての「話し方の技術」にも気づくべきではないか、と書いたのです。
ですから、
・あんみつさん

私は、受容だけだと物足りない子もいる、あるいは物足りない段階が必ずやって来ると今では思っています

・めぐさん

共感するだけじゃ、駄目みたいな感じ〜

少しは意見も求めてる(少しだけど)みたいですね。すぐに
「言ってくれればいいのに!」と言われるから・・・
背中を押してやらないと動かない子はね

というところを読んで、受容した後に続く段階があるような感じを受けましたが、それは違うと思います。受容の主体はあくまで受け手です。話す側が自分の抱える問題に対する気づきにたどり着くまで受け手は待つことが必要になります。そして、話す側が気づきに至ったなら、気づきの中とそこに至る過程で解決策も見えているので「受容の後はどうするのか」ということを考える必要はないのです。「積極的に待つ」とはこのことだと、ぼくは理解しています。普通の会話ではない「受容」という方法でコミュニケーションを取ることにより、相手は自分自身の状況に気づきやすくなり、受け手は待ちやすくなるはずです。

■付け足しみたいですが、ことぶきさん、ありがとうございます。早速検討に移りました。