■思うような絵が描けなくて、あるいは予想を超える線を引けなくて苦労する。思いあまって左手で描いたり足で描いたりするが、最初こそ「おお!」と思うが、すぐに上達してしまう。絵が脳内のイメージを肉体を通して記すものである以上、意図しないものは生まれず、熟練度以上の出来にはならない。
■近代美術館に「へそまがり日本美術」展を観に行ってきた。
私たちの感性には複雑、かつへんてこな一面があります。決して「きれい」とは言えないものになぜか魅力を感じたり、完璧ではない、不恰好なものや不完全なものに強く心惹かれたりしたことが、誰にでもあるはずです。本展は、そんな「へそまがりな感性」に注目しながら、日本の美術史を改めて眺める試みです。
落書きのように見える仙厓和尚の絵は、実に達者な線で描かれている。あれは、あえてあのように意図し、そのとおりに描いているのだ。あるいは三代将軍家光の描いたミミズク。丹念に描かれた羽毛に家光の意図が見える。ただ手が追いつかなかっただけだ。
■おもしろいのは、絵を見る第三者の存在だ。本人が納得できなかった作品に、勝手にあじわいを見いだしてしまう。だって、家光のミミズクは圧倒的にかわいいのだ(絵はがきを買ってしまった)。下手なのになぜか心をつかむ。いわゆる「ヘタウマ」だ。「ヘタウマ」が提唱されたころ、ほかに、本当に上手なのにあえて下手に描いた「ウマヘタ」や下手な人が描いたただ下手な絵「ヘタヘタ」という区分があった。家光は「ヘタウマ」、仙厓は「ウマヘタ」になるか。
■いや、絵に限らないか。なににせよ意図と能力、第三者からの評価のズレが発生し、とまどったり、喜んだり、切歯扼腕したりするのだろう。そして、自分にやれることは意図を明確にし技術を上げる以外にない。(8/30夕)