漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

生きているだけでいい

■一歳になった息子の髪は相変わらず薄くて、生まれたての時の方が頭が小さかった分髪の毛ふさふさに見えました。それを、相変わらずはげだよね~と笑う私に母が見せたのは、一歳の時の私の写真。同い年のいとこと並んで映ったそれには、ふさふさ頭のいとこの横で笑う髪の薄い私(達双子)の姿。ごめんママの遺伝だった。

■どこかで書いた気がしますが、息子は予定日よりも早く生まれたためか低体重児でした。そのせいなのかはわかりませんが、新生児時代は本当にずっと寝てる子で、ミルクの時間にわざわざ起こしてあげたりしてました。たまに泣けば、「泣いた!久しぶりに声聞いた!」と喜ぶほどに。1歳になった今は平均より大きくそして重くなりましたが、多分私は一生低体重児で産んでしまったことを気にすると思います。という私も双子なので1800gの低体重児だったんですが。(当時は未熟児といった)

■あまり食べない、よく風邪をひく、すぐ寝る、体力がない、など、ちょっと気になることがあれば「低体重で生まれたから」と頭の隅っこで考えてしまう時があります。きっと「それは関係ない」と誰もが言うし、私もわかってるんですが、妊娠中のアレが良くなかったんじゃないかとか思い当たる節がありすぎて自分を責めてしまいます。きっとこの先また何か心配事が出来れば「低体重児だったから」と思うと思います。もう仕方ない。逆にすべてを「低体重児だったから」と開き直る理由にも出来るんですが、私の性格なのか自分の子どもの事だからなのか、今は開き直る気分にはなれない。

■だから最近よく思うのが「生きているだけでいい」です。元気じゃなくたって食欲がなくたって生きていてくれればいい。まさに「生まれてきてくれてありがとう」なんです。ちっちゃく生まれたくせに、一年間かけてここまで大きくなってくれてありがとう。この先私が何度も「低体重児だったから」と思うよりもきっと多くこの「ありがとう」は感じるんだと思います。それは、勉強が出来なくたって学校に行かなくたって障害があったって「生きている」だけで嬉しいし、「ありがとう」だから。きっとこれは親なら誰もが思うことだし、すべての悩みの着地点でもあると思います。

■何年後にこの記事を自分で読み返して「当時はこんなこと思ってたんだ」と初心に返るために書きました。また数年後で全然違う事を思ってたら面白い。