漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

云々

■もう木曜日。あっという間に一週間が過ぎる。そして、これまたあっという間に一月も終わり。明日は月末恒例の漂流宴会です。このあいだ、漂流宴会を12回したら一年が終わるという事実に、みんなで青くなったのだった。誰かになにかを騙されている。一年がそんなに短いはずはない。

■秦の始皇帝が急死したあと、宦官の趙高が国の実権を握る。始皇帝の血族や有力者を次々に処刑すると、ひとり残した始皇帝の末子を傀儡に据え、朝廷の権力を独占した。「鹿を指して馬と為す」という故事はこのときに生まれた。

中丞相趙高、秦の権を専にせんと欲すれども群臣の聴かざるを恐る。すなわち先ず験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑って曰く丞相誤れるか、鹿を指して馬と為すと。左右に問うに、或いは黙し或いは言う。高、陰に諸々の鹿と言う者に中つるに法を以てす。後群臣皆高を畏れ、敢て其の過ちを言うもの莫し

暴政は各地で反乱を引き起こしたが、趙高は事実を皇帝に伝えなかった。援軍の要請を断り、敗戦の責任は将軍にかぶせた。いよいよ窮状を隠しきれなくなると、皇帝へ責を負わせて殺害し自らへの非難をかわそうとしたが、叶わず殺される。

■という話を思い出すようなことが続く。国政を議論する場で相手を貶めることに腐心し、形だけの答弁と力押しで政治を進める。損害や失敗を隠し、「事実」を閣議で決定する。人は紀元前より変わらぬものなのか。歴史に学ぶことはないのか。「平家物語」だって有名な祇園精舎のくだりのあとは趙高の話から始まるんだぜ。

遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり

近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、心も詞も及ばれね