漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ホームスクーリングのことなど

■中学校が夏休みに入った。毎週火曜日に行っている相談支援パートナー(心のサポーター)もしばしお休みとなる。一学期終了ということで、担任・学年主任と共に、学校に来ていなかった人の下へ挨拶に行った。ホームスクーリングで育てているので学校には来ていない由。

■ホームスクーリングをしているので学校に来ていないという方は、中学校の先生が教育委員会に聞いたところだと、札幌に10人弱いるらしい。全国第五位の人口を持つ都市にしては少ないと思う。もしかすると、ホームスクーリングをしているということを言わずに、そうしている人もいるのかもしれない。ホームスクーリングは教育を受ける自由と権利の行使の一つであり増えたらいいというのが自分の考えるところである。しかし、先進国であるイギリスでも支援団体のFAQのど頭に「ホームスクーリングは合法ですか」という質問が載る状態ではある。近代国家が作り上げてきた「教育は国が行うもので、国民はそれを受けなければならない」という概念が洋の東西を問わずなんと強力なことか。

■また別の側面からは、こんな問題も起こっている。BBCのニュースより。

少年の壊血病死、ホームスクーリングの公的登録案に拍車
8歳の少年が壊血病で死亡した件についての報告書で、ウェールズは家庭で教育を受ける児童の登録をするべきであると述べられている。

ディラン・シーブリッジ君はペンブロークシャイアの孤立した家庭で病気にかかり、2011年に死亡した。

児童に関する実地調査では、少年は1歳1ヶ月から、医師・看護師・教師等の機関との直接的な接触は無かったと分かった。

両親は壊血病という検死結果の判定について争った。

三者による調査報告では、ウェールズ政府に家庭で教育される児童の登録を義務化するよう呼びかけている。

報告の著者であるグレイディ・ローズ・ホワイト氏は、現行の法律は国連子どもの権利条約についてのウェールズ政府の取り組みと、著しく対照的であると述べている。

報告では、両親はその子供たちを学校ではなく家庭で教育する権利を持つことと、家庭での教育自体には児童虐待育児放棄の危険要素は無いことを認めている。

しかし、児童が「不可視」になる可能性があると述べている。

(翻訳山田 以下略)

これは、ホームスクーリングに寄せられる懸念の一つが先進的な地域でも実際起こっているではないか、と言われることになる事例だ。日本でもホームスクーリングをしている家族のブログを見ていて、体罰を肯定している記述に出くわして、驚いたこともある。

■しかし、「不可視の状態でなければ教育は出来ないというのはおかしいだろう」という言説は、「疑わしくないというなら全部見せられるだろう」という言説と何ら変わる所がない。これを言えるのは今のところ警察権力だけであり、しかもそれにはかなりの制限がつくし、説得レベルまでしか許されていない。そうしたリスクを含むものとして受け止め、リスクの低減策を考えなければならないだろう。

■リスク低減策として、適切な養育をしていると認められない場合には調べるという制限の仕方は「適切な養育」の範囲が自由を制限することになるので、無しとしたくはある。しかし、それでは認められる自由の中に学校教育では認められていないものとして、体罰も含めることになるのか。などなど、色々と考えること多し。

■夜、教育大の平野さんの授業で臨時講師として話す人たちが集まり、講義内容についての打ち合わせ。飲みながら、ポケモンGOについて話したり。(水曜日)