■帯広の寺沢です。またfacebookからです。
■「寺沢さん、車買ってよ」と利用者の子に言われました。「何歳になったらさ?」と返すと「50歳になったら」と言います。「50歳ならいいよ」と承諾しました。
■違う子は「ミイラになりたい」と言いました。「ミイラがいいなら、死んだら誰かにしてもらわなくちゃならないよ」と返すと、「寺沢さん、ミイラにして下さい」と言います。承諾しました。
■旅行中の話。利用者と同じくらいの年の子に「ドルをくれ」と言われたことがあります。場所はカンボジアのベンメリア遺跡で、子どもの言い分は「ガイドしたから」でした。うっかり好奇心でガイドさせてしまった以上、払う物は払ってやろうと、一人分10セントずつ差出ました。するとそのリーダー格のその子は「違う! ドルだ!」と怒って叫びました。恫喝と言うほど強くもありません。交渉というほど上等なやり方でもありません。
■どういう気持ちだったのでしょう。仲間の手前ということもあるでしょう。あるいは同様の手口で「ドルを貰えた」ということが、彼の成功体験として蓄積されていて、それを台無しにされたという思いかもしれません。どちらにしろ、私は淡々と「ドル、ダメだ。10セント、一人ずつ。OK?」と言って、金を渡しました。
■1ドルは一食と同等以上の価値があり、彼らには過ぎた金額です。「ありがとう。楽しかったよ(本当に、そのガイドは楽しかった)」と別れ際に伝えましたが、彼らの心に届いたかどうか。私を含め、無自覚な大人の誤った対応が、子どもに間違った価値観と経験値を与えていることでしょう。自戒を込めて振り返りを。車とミイラはいいですよね。だめかな。