漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

世界の捉え方

■ちょっとバカみたいな話だけど、中学生くらいまで絵本に作者がいるとは思ってもみなかった。同級生に、××と○○は描いている人が同じだよね、と言われて、なんのことだろうと家に帰って確かめたら、どちらも佐々木マキだったのでした。今となってはなぜ気づかなかったのかわからない。あんなに特徴的な絵なのに。

■アニメもよく見ていたけど声優がいるとは思いもしなかったし、音楽にしたって作詞家や作曲家の存在なんて考えつきもしなかった。やっぱり中学生のときに友人宅でアニメ雑誌を見て、衝撃を受けたのでした。ダーティハリーとルパンが同じ人だったなんて。

■で、高校に入ってから、やっぱり絵本の話をしていて、あの色づかいが好きなんだという友達に、びっくりする。そんな見方があったのか。

■突然だけど、それって批評なわけです。分類すること、分解することを知って始めて批評になる。それまでの俺は、あるものをそのまま受け入れて、ただ蓄積してただけだった。道理で感想文が苦手だったわけです。あれは批評だものね。

■土曜日、ダボハゼの会で、みんなで絵本を紹介しあいました。最近の絵本の色鮮やかさにびっくりしたりしたんだけど、もっと驚いたのは、ほかの人たちが、なんでこういう展開になるのか、という話をしていたことでした。そんなの全然考えたことなかった。なぜもなにも、そうなってるんだからそうなんでしょ、としかとらえてなかったよ。いや、そんなことも考えてないかも。

■色づかいや筆致を見るようにはなったけど、中身については、俺のなかで絵本は相変わらず、ただ受け取って貯めておくものなんだな、と気づいた瞬間でした。「なぜ」という問いがそもそもない。

■もしかしたら、絵本に限らないかもしれない。着ぐるみのなかに人がいることはさすが気づいていたけれど、ガチャピンのなかの人はスキーもスキューバもなんでもできてすごいな、と思っていたのが30代です。人が入れ替わるなんて発想がなかった。

■批評が無意味ということではありません。ものごとを分解して系統立てていくのは楽しい。「なぜ」という問いは大事です。一方で、なにも分別せず放り込んでいる自分もいる。俺にとっての世界の捉え方を考えた週末でした。(3/9午後)