漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

止まるなよ

■代車はシボレーなのだ。軽でない車は乗っていて走りの気分がいいな。というか、新しいからか。エンジンが新しくなった暁には、音が小さくなっているといいなあ。

■車の次は漂着教室のパソコンが二、三日前から調子悪い。これを書いている時も一回落ちた。色々試していて、現在は音周りが怪しいと睨んで試行中。

■東京都青少年育成条例の改正案が面白いことになりそうだ。

年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。

だそうだ。「視覚により認識」なので、マンガ・アニメを狙い撃ちですな。「非実在青少年」って、要はマンガやアニメのキャラクターだよな。ネーミングセンスは面白いが、内容はちぃとも面白くない。

表現の自由が云々、児童の権利擁護云々という話は脇に置いて考えてみてごらんよ。マンガやアニメのキャラクターがやらしいことしてるから見せないようにしましょうって話だろ。こんなの、40年以上前に永井豪ハレンチ学園が出た時の世の中の反応と同じだ。それを法的にようやく規制かけられるようになって嬉しい人ってのは、40年の間自分の意見を曲げずにいた硬骨漢というよりも、人が自分を律する力を全く信じることの出来ない残念な人じゃないか。

■最近地域づくりづいているから、そっちでも考えてみる。もし地域の力が衰えているならば、私的生活領域に性という社会性が入り込むにはメディアと通じるしかないとぼくは思うのだけど、それを規制してしまうと次に何が起こるだろうか。少なくとも、こういう規制をかける側が甘く期待する「健全な成長」や「権利擁護」は、思いも寄らぬ形で裏切られるはずだ。その時、彼らはまた規制をしようとするだろう。ぼくが危惧するのは、これが幾らでもエスカレートできる構造を持っていることだ。イタチごっこなだけだと思っていると、足下をすくわれるかもしれないので注意。