漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

豊富町「輪つなぎの会」交流会

■本当は豊富町の親の会「輪つなぎの会」が企画してくれた「交流会」なのだが、やたらとブログの見出しを増やすのは嫌いなので[講演会]としておく。ちなみに、04年9月にも一回お呼ばれしており、その時の模様はここの9/11からの数回にある。

■今回は、「漂流教室の活動と子供達の様子を話してもらいたい」ということで、漂流教室の成り立ちと今何をしているかという話しをまず三十分ばかり話した。ちょうど今週末の五周年イベントの予行演習にもなったかもしれない。訪問活動と漂着教室での活動がそれぞれ持つ意義と実際の過ごし方を、笑いを取りつつ話しができたというのは収穫だ。その後、質疑応答。訪問の中でどのように子供と接するかという先生からの質問で始まったことで、漂流教室の考えていることの中心をいきなり話すことができた。漂流教室の考えでは、毎回の訪問に意味はそれほど求めない。よほど大きな失敗がなければどのように過ごしてもよい。もっとも重要なのは、訪問を継続するということであり、継続していく中で本人が変化しようとする時にはそれに付き合っていくということだ。だから、毎回訪問するたびに「さあ、今日は何をしようか」という形になることをわざと崩すことにもなる。これは案外つらいのだが。さらに、以上の話しは、発達障害を持っている子供だと若干考慮しなければならない部分がある。自由度が余りにも高いと逆につらいことがあるので、少し道筋をつけて会っていくことも場合によっては行っているということを補足した。

■という話しをすると、ではどのように変わるのかという質問が当然出てきた。これはもう一人一人違うとしか言えない。しかし、訪問とは家族の関係の中に外部から入る人が増えるということであり、変わる主体は子供だけではなく、家族の中の誰かの何かが変わるということである。故に、まったく変わらないままになるということは無い。こちらとしては、それの途中でもし誰かが倒れそうならそれを支えるということはしていくつもりだ。

漂流教室がこうした実践をするためには、前提条件として長期間の訪問が保障されるということがある。学校とは違い、何年も関わることを前提としているからできるのだ。この点については、親の会の人達と話しをしていると、本当にそういうニーズが高いことを感じる。親にしても子にしても、小学校・中学校のどこかで不登校について悩み始める人が多いのだが、一年や二年はあっという間に過ぎていってしまう。そして、高校入学をする年齢くらいになると、もう付き合っていく人がほとんどいなくなる。うちはスタッフが入れ替わる可能性もあるにせよ、本人が必要でないと感じるか、二十歳前後までは訪問をしていくことにしている。今回もこの方針に賛同する方が多かった。

■今回の質疑では漂着教室の持つ役割についても問われた。漂着教室でどのように来室者が過ごしているかについてだが、基本的にはメンタルフレンド的関わりで過ごしている。だから、漂着教室でも「さあ、今日は何をしようか」という形で子供と接することは無いようにしている。ただ、こうすると自由度が高い分、子供の動きをどれだけこちらが受容できるかが訪問の時よりも試される。この点、今後また続けていく中で自分たちが変化していく部分なのだろう。

■とここまで書いてみると、随分堅苦しく話していた感じだが、実際はかなり笑いを取っていたんですよ。夜からの交流会は、面白くて話が尽きない感じでした。さあ、今度われわれを呼んでくれるのはどこの方か。お待ちしております。