漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ぶつかっても

拾いギター

■写真は昨日の日誌にある拾ったギター。シリアルナンバーを見るに1977年製。いわゆるフルアコとゆーヤツで、さすがに古い分、少々電気系統もいかれている。ボリュームかピックアップか、次に直すとしたらその辺だな。

■午前中に訪問1件。古文を解きつつ相談に乗る。詳細は書かないが、友人とのことで、とにかく心配の種をずらりと並べる。またそれが恐ろしく細かい。一例を挙げれば、食器の上げ下げについて。自分のやり方が相手に失礼に見えないか、と気になるらしい。一個一個聞きながら、似たようなことが前にもあったなと思った。高校進学が決まった彼に、高校生活について、同じように微に入り細に入り質問攻された。これが彼の流儀なんだろう。あらかた話したら勝手に解決したようだ。

■粗相のないよう気を配るのは別に悪いことではないが、何かやらかしてしまったとして、じゃあその後どうするか、ということも大事だ。それは訪問でもそうで、やっぱり最初はぎこちない。会っていて疲れる、楽しくない。そういうこともある。体調が悪いときもある。それでつい当たってしまった。そんなこともあるだろう。でも翌週、普段と同じように訪問する。こっちが気にかけてることは、向こうだって気にかけている。気にかけているうちは関係は壊れてなくて、だから普段通り訪問して、お互いにそれを確かめる。ちょっと失敗したけど、そんなことじゃ関係は壊れないんだな、と。だから、訪問を始めたばかりのスタッフには、一回一回で判断せずとにかく訪問し続けてみて欲しい、と伝えている。そのうちきっと変わる。

■書いてる内に思い出した。「と・ざ・ん」の渡邊さんと俺は、最初はとにかく反りが合わなかった。それでよく言い合いをした。渡邊さんと山田はもっと合わなかった。その後遺症で、今でも山田と渡邊さんが同席してると緊張する。でも今は3人ともすっかりうまくやっている(と思う。多分)。生きている以上、他人とぶつかるのは仕方ないし、ぶつかったこと自体はどうってことない。大事なのはその後だ。だからなるべくぶつかるようにしています、というのはただの言い訳。

YOSAKOIのせいなのか、いつもより車が多い。同じYOSAKOIのせいでも参入組と脱出組がいて、明日の俺は脱出組。訪問先の子が会場警備のバイトをしてるそうで、見に行こうかとも思ったが、暴れて迷惑かけちゃ悪い。ぶつからなくていいものもある。とっととずらかろう。