漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

予言なのだ

■訪問先の子とヨドバシカメラに行った。悩んだ末、ポイントが溜まっていたのでリズム天国を購入。漂着教室に行ったら、来ていた子らも相馬氏ので遊んでいた。ちょっとしたブームです。

教育再生会議では、体罰の定義を見直せという話が出ている。体罰が一切認められない現状はおかしいということなのだろう。実は、ぼくも体罰を一切認めないという立場ではない。教師と生徒に十分なコミュニケーションがとれているなら、体罰の意味をわかってもらえる場合もあると思っている。つまり、力による指導は行わないことが基本だが、やむを得ず起こったことまで全否定しないという立場だ。だから、実際起こってしまった場合には、その意味合いを十分に生徒が理解できる上でのことであったか吟味し、違うならしっかりフォローするように教師が動くことで教育に幾分か意味を持つようにするしかないだろう。しかし、会議では「毅然とした対応」の一つとして体罰を語っているようで、コミュニケーションをとることにはつながっていないようだ。なので、彼らの話にはこのままでは反対だ。

■ここ10年の自殺を洗い直したらいじめによる自殺が14件ありました、と脳天気な報告を文科省がしている。それで報告の形式といじめの定義を変えるという。子供がいじめられたと感じたらいじめと認めるというのはまぁその通りだと思うが、「子供がいじめられたと感じている」と誰が認定するのかを考えてみて欲しい。それは教師なわけだ。「いじめ」のある学級にしている=教師としての能力に欠けると評価される故に、教師は「いじめ」の存在に怯えている。怯えの余り「いじめられた」ということを書いた遺書を秘匿する者さえでる始末だ。この怯えが無くならない限り、彼らはありとあらゆる手段で「いじめ」が表にでないようにするだろう。「いじめられたと子供は言ってない」「からかわれたと言っている」等、言質を狡猾に取る教師がこれまで以上に増えることは想像に難くない。それでも社会問題となっているから、恐らく一二年の間、「いじめ」を原因とする子供の自殺が極わずかに報告されるだろう。そして、それは漸減していくだろう。四五年後、「対策の効果が出ている」というような説明の下、「いじめ」による自殺がゼロになったと報告されるだろう。不登校と違い数が少ない故に、このように処理されると予言しておこう。

■明日はセンター試験か。今、どれだけ解けるかなぁ。