漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

好きなこと第一主義

■暖かく道がざくざくになった。夜には寒くなり今度はつるつるに。心臓に悪いよ。そんな中、訪問は四件。

■学習支援で英語をしている。アルファベットに慣れるために、まずローマ字の練習。今日で二回目だ。小学校で少しやっているので大文字は大丈夫だが、小文字が入ってもひっかかりなく書けるまで練習する予定だ。ここでアルファベットを単語として分かち書きできるようにしておくと、英語に移行した時も楽になるので、じっくりいこう。もう一つ身につけてもらうことは、音の分析だ。ローマ字の組み立てから、母音と子音の存在とその聞き分けをできるようにしておく予定。これができた段階で、フォニックスに移行しよう。

■「好きなことがみつからないので、○○しない/できない」といった話しを聞くことがある。好きなこと第一主義とでも言おうか。これが嫌いだ。「好きなことは□□です」なんてこと、余りにも漠然としているじゃないか。たとえば「好きなことは料理です」としてみる。料理に関連することなら何でも好きなのか。三国シェフのおひげまで好きなのか。美味しんぼなら毎日全巻読めるのか。「そんなことあるわけないじゃないか」と思った人いますか。ぼくもそう思う。ある一つの名詞や一文程度で表すことのできるものは、めったやたらに広い範囲を示すことが多くて、本当に心から好きだと言えるものはそんなに大きな物事じゃないだろう。それに、何かを好きか嫌いかなんて、日によっても体調によっても違ってくるような不安定なものだ。

■またたとえ話にするが、異性と付き合ったことのある人は「あなたは私のどこが好きですか」と聞かれたら自分がどう答えるか想像してみるといい。付き合い始めの頃は「もう全部」とでも答えたくなるだろう。或いはどう答えていいやら迷うだろう。付き合いが長くなれば「□□なところ」という具合に幾分か限定することができるようになってくる。それは、自分の「好き」に強弱があることを自覚してきたということだろう。好きなこと第一主義は、その強弱を抱えて生きることを否定してしまう。話しは飛んでしまうようだが、ぼくはこの点に学校の持つ論理との共通点を感じている。みんなといつも楽しく過ごしていこう、人をいつも思いやる優しさを持とう、常に自分を鍛えていこう等々、「学級目標」みたいなものは全て強弱を許さない。物事はできる時とできない時があって、できることはほんのわずかなことでしかない。なのに、できない時は自分を責めるようにしていく。その結果、細かいことを無視して行動してしまう人間や小さなことができないだけで屈辱を感じる人間を産んでいると思うのだ。

■ということで、半分ムリヤリ教育がらみにしておしまい。そのうち、またこの文章の中身と関係するようなできごともあるだろう。