漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

三週間でもいいんじゃない

■俺も山田と同じメーリングリストに入っているが、そんなに非難されるならきっといい本に違いないと、またつむじ曲がりの癖が顔を出した。いい本だ、というバイアスをかけて記事を読んでみる。

二週間目は、子ども自身が「学校に行くことが自分にとってよりよい選択」と納得すれば、登校再開に向けて本人と家族が実行する。

■子供自身がよりよい選択と"納得"したなら、登校再開に向けて動く、と書かれている。ということは、子供がそう考えなければ、行動は起こさないということだ。その場合はどうなるか。一週間目の「しっかり子どもを休ませる完全受容期」が継続する、と考えるのが妥当だろう(さすがに仕事はそんなに休めないだろうが)。

三週間目は、クラスが受け入れ準備をする。親しい友人数人が接点を持ち、学校の外でのキャッチボールやクッキー作りなどの遊びを通じ、登校しやすい環境をつくる。

■三週間目は環境作りだ。問題解決を、本人もしくは家族の努力のみに任せることはしません、ということだ。子供は自分の力で動き出した。それを実らせるも無駄にするも、その先は周りにかかっているんだよ。そう言っている。ここも子供が"納得"した後の段階なのに注目。勝手に登校復帰を進めたりしない、というわけだ。

■記事を読む限り、この本は「三週間で子供を学校に戻すための本」ではない。それは、「すぐに学校復帰できなくても、三週間の挑戦は、先生と家族、本人に新たなきずなを生むはず」と書かれていることからわかる。家庭は子供を完全に受容しよう。その結果、学校に戻ることが自分のためと子供が決めたなら応援しよう。学校は受け入れの態勢を整えよう。書かれているのはそれだけだ。あとは、一週間をそれぞれに便宜的に割り振ったに過ぎない。

■というのは、相当好意的に見た解釈。しかし、非難もまた相当批判的に見てのものだったりする。俺も含め、みんないろんなことを"当然"と思い過ぎてる。「信じて待つ」が受け入れられるなら、「三週間で戻す」もまた受け入れられたっていいのだ。子供が大変じゃないのなら。


■午前中は、今期2度目の札幌市教委とフリースクールネットの懇談会。フリースクールネットでは、これに先だって、公的支援などを求める要望書を提出している。これまでのように無碍にまたは遠回しに断られるのかと思ったら、今回は少々勝手が違った。公的支援は相変わらず無理との回答だったが(今後も相変わらず要求するが)、例えば、市教委による民間施設一覧の公開は検討するとのこと。また、民間施設との連携を深めるため、このような懇談会をもっと充実させる。具体的には、相談指導学級の担任や、教育相談課の職員の参加、また民間施設自体にももっと広く呼びかけ、様々な意見を取り入れようとのこと。今までにはない発想だ。いろいろ前向きな態度が見える。

■面白かったのは、民間施設との連携について、学校からとったアンケート。「民間施設と定期的に連絡をとっている」「定期的に訪問し、子供の様子を見ている」学校多数だったらしいが、少なくともうちには、そんな連絡来たこともない。「民間施設の良い点ならびに改善点」という質問では、良い点として「子供たちが楽しい生活を送っている」「外に目を向けるようになった」「子供の情報を伝えてくれる」などなど。改善点に「学習内容が学校と一致しない」「学校復帰につなげる活動をして欲しい」。アンケート結果に対するこちらの見解も伝えたが、いっそ直接やりとりさせてくれたらより有意義だろう。懇談会を充実させる、とのことだから、教師も呼んで欲しいものだ。

■夕方から訪問2件。その前の空き時間で日誌を書いて、さて、そろそろ行くか。

■訪問先で気がついた。靴下、左右で違うじゃん。恥ずかしー。ということは、市教委との懇談中も、色違いの靴下を履いていたということか。上の三週間云々を書いてるときも、左右で違う靴下を履いていたのだ。どんなに真面目な意見を言っても色違い靴下。途端に価値が下がった感じだ。