漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

むじなな学校復帰

部分日食

■訪問先で昼に日食があったと聞いた。え? ホント? 帰ってニュースを見れば確かにホント。全然気がつかなかったよ。

■午前の訪問が、まさに家の前に車を止めようとしたところでキャンセル。本人曰く「今日はちょっと一人でいたい」とのこと。別の訪問先では、「月曜に学校に行ってみる」と登校宣言が飛び出す。表れた形こそ違えど、子供が自分で考え、自分で決断し、それをきちんと俺に伝えてくれたという点ではどちらも同じ。それこそが大事な点で、だから、俺にとってはどちらも等しく価値を持つ。世の中の物差しは関係ない。やばい、あんまりいいこと言うから、自分で自分に感動した。

■ところで、「学校復帰」。10/8の日誌で「学校復帰と地域ぐるみでの支援をセットにするのはよくない」と書いた理由は簡単。子供が追い詰められるから。営業成績が伸びないサラリーマンに対し、会社と地域が「成績向上」を目的に連携したらどうなるか、想像してみるといい。会社だけにとどまらず、近所の人たちがみんな、会う人会う人、営業成績を上げさせようとしてきたら。そんなの、蒸発するか、引きこもるかするよ。

■人はたくさんの所属を持ち、それぞれは切り離されている方がいい。いろんな人がてんでの関わりを持つから、豊かさに繋がる。どこまで行っても行っても同じ目に遭うなんて、まるで小泉八雲の「むじな」である。そう、「学校復帰」と「地域ぐるみの支援」の二点セットは怪談だったのだ。道理でゾッとするわけだ。いや、学校が舞台だけに「学校の怪談」かな。

■冗談はともかく、学校と地域、はたまた医療や福祉機関、支援団体などは“進んで繋がらない”ことが必要なんじゃないかと思う。といって、抱え込めという話ではない。詳しくはまたそのうちに。しかし、道教委の出してるリーフレットなんていいこと書いてあるんだけどな。

不登校に対する基本的な捉え方>
登校しないことが問題なのではなく、子どもの成長をいかに支援するかが問題なのです。

ここからどうして「目標は学校復帰」になるんだろう。やっぱり怪談だ。