漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

情報化社会と思春期の子どもたち(2)

碓井氏は情報化社会のマイナス面について以下のように述べた。

不安、混乱、自信喪失、リアリティーの減少、自由の中の不自由

一昨日の日誌のコメント欄、あんみつさんの書いたリストカットの話も確かここで出た。ほか、育児雑誌はたくさん買うもののどうしていいかわからない母親、進学資料をたくさん手に入れてその後が決まらない学生の話が例として出ていた。

■前にも書いたが、「正しい答があると思い込んでいる人の多い社会」が情報化社会だと俺は考えている。彼らがなぜそんなにも情報を集めるのかといえば、「どこかに正解がある」と思い込んでいるからだ。「正しい子育て」というものがあると思うから育児雑誌を買い漁るのだし、「自分にあった正しい進路」というものがあると思うから、資料の山にうずもれる。しかし、ちょっと考えればわかるがそんな便利な「正解」などというものはない。それでも、自分が知らないだけでどこかに「正解」があると思えば、人はひたすら役に立ちそうな情報を集めるだろうし、それをしなければ自分だけが「正解」を手に入れられないと思えば、不安にもなるだろう。碓井氏の言うことはよくわかる。

■そして、どんな情報も手に入れた時点でもう「正しくない」のだ。なぜなら、それが「正解」だという保証はどこにもないから。そしてまた「正しそうな」情報を探す。言い方を変えれば、情報化社会とは「必要な」ではなく「必要“かもしれない”」情報が意味を持つ社会、と言えるのかもしれない。

■それでいて、「正解」があると思えば、せっかく集めた情報も使えない。正しい選択以外許されないのなら、どれだけ情報を集め選択肢を増やしたとしても、結局どれも選べない。「自由の中の不自由」とはそういうことだろう。碓井氏は凶悪少年犯罪者の心理について、

自分自身も、自分の人生も、この社会も、どうなってもいいと思っている。傍から見ればいくらでもやり直す道はあるし、助けてくれる人もいるのに、それに気づかない

と分析していたが、これも同じだろう。彼らは、人生にたったひとつの「正解」があると思い込み、それを外れてしまったと感じて、どうしようもなくなってしまったのだ。気づかないのも道理。「正解」じゃない以上、他の道なんてあるはずないのだから。

■で、面白かったのが質疑応答。同じように情報化社会の話を聞いているはずなのに、出てくる質問は「子どもにどう接すればよいのか」「心を鍛え、人間関係を育てるにはどのようにすればいいのか」など、いわゆる「正解」を求める質問ばかり。考えを伝えるというのはなかなかに難しいものだと改めて感じたのだった。