漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

またお別れの日

昨夜の家の前

■昨日の雪はひどかった。訪問を1件翌日に振り替えたくらいひどかった。でも、そんなにひどかったのは、きっと南区だけに違いない。その様子は右の写真で。

■そして、今日はきれいな青空が広がった。気温は平年並み。雪も解けた。そしてタイヤはまだノーマル。昨日の振替分も含めて訪問3件。高校の通信課題をやっつけたり、ゲームをしたり。午前中には「月刊漂流」第3号をつくった。今号の表紙はちょっと気に入っている。ボランティアスタッフの滝山くんの絵をレイアウトしてみた。

■ところで、今朝、猫が死んだ。2週間くらい前からめっきり弱って、もう時間の問題と思っていたから驚きはなかった。半分野良だったから、家の中で最期を迎えたのは不本意だったろうが、死に場所を探すより先に足腰が立たなくなってしまっていた。亡骸は庭に埋めた。およそ25年ぶりに家に動物がいなくなった。

第1回スクールカウンセラー連絡協議会

■もともとは市立中学高校の教頭とスクールカウンセラーを集めての会議なのだが、市教委より、前半の講演会部分に限りフリースクールからも参加してよいとの連絡を受けたので、これ幸いと行ってきた。

■演題は「相談指導学級の仕組とその活用について」。講師は現職の教頭で、その前は相談指導学級の教員を10年間務められてきた。同じ不登校の子に対しながら、相談指導学級の実情はさっぱりわからない。近くて遠きは相談指導学級。もっとも、学校とも馴染みがないのは、こんな講演会が開かれることでも分かる。

不登校の子を扱う施設、似たようなカリキュラム、学校の非協力的な態度に憤慨するところまで、相談指導学級とフリースクールはよく似ていた。もっとも、相談指導学級はあくまで学校復帰のための場所で、そこは明らかに違う。前もって断っておくが、俺はそれを悪いとは思っていない。そういうところも必要だ。ただ、それでは補えない部分もあるとは思うが。

■相談指導学級についてよく聞く不満に、すぐには入級させてくれない、というものがある。これも「学校復帰のための施設」ならではの理由で、まずは学校に出来得る手立てを取ってもらうためらしい。学校との繋がりを全くつくれないまま入級すると、復帰が難しいからだ。相談指導学級には、週に数回通い1〜2時間だけ過ごす「部分通級」と毎日通う「毎日通級」の2種類があるが、初めは部分通級から始め、毎日通級への移行はなかなかさせない。それも学校復帰のためという。毎日通級が認められるのは、学校の対応がまるでないなど、復帰が望めない場合との説明だった。


■面白いと思ったのは「心の回復」という言葉。講師の先生はこの言葉を「自分の弱さを見つめ、克服する」という意味合いで使っていた。「学校復帰を目指すには、心の回復と学力の回復のどちらが大切か」と訊いた上で、心の回復が大事と説く。人間関係を築くのが苦手なのを、学力の向上で誤魔化した生徒がいた。その子は良い成績で高校へ入学したが、数ヶ月で学校へ行けなくなった。人間関係を構築できない弱点から目を逸らしていたからだ。だから、学力より心の回復が大事―「心の回復」は例えばそういう文脈で使われた。

■そういう視点も確かに大事だ。だが、このエピソードからは、その子の対人関係の不得手は本当に"心"が原因だったのだろうか、という疑問だって湧く。

■思うに、相談指導学級とフリースクールの一番の違いは、「子供の成長」に対するベクトルの違いだ。相談指導学級にはある決まった成長のパターンがある。弱い自分を見つめ直し、逃げることを克服し、自信を回復するといったような。それに当てはまる子供にはいい場所だ。だが、当てはまらない子もいる。その子はどうすればいい。相談指導学級は、原則として軽度発達障害の子を受け入れない。入級して改善する、といった類のものではないからだ。だが、それゆえ学校に行かなくなった子はどうすればいいのか。

■恐らく、相談指導学級とフリースクールは共存する。繰り返しになるが、相談指導学級のような施設はあっていい。全てを「学校復帰のため」で徹底することは、己の立ち位置をしっかり把握することに繋がり、無責任な抱え込みを減らすだろう。だが、一方で受け入れられない子供が多数いて、そのうちの何割かをフリースクールが補っているのなら、両者を同じポジションで扱って欲しい。講演を聴いてそう思った。ついでに、次の協議会では講師をフリースクール関係者にしてくれないかと思った。学校、またはスクールカウンセラーに知られていない点では、フリースクールも同じなわけだし。

■そうそう、会場で中学時代の担任と会いましたよ。教頭先生になっていた。偉くなったなあ。