■徹夜明けからの訪問。終わって休んで日曜日に部屋の模様替え。冬バージョンの部屋を夏バージョンに変更した。今のところに引っ越してきてからは、随分変えている。変えるたびに部屋も片付くのが良い。
■新学期が始まり、周りで入学・進級の話をよく聞くので考えた。入学・進級というのは子供を一定の年齢で区切って集団を作る行為であり、子供の成長の速さは各々違うので発達の差が生まれる。そこで年齢集団ごとに平均的知識を設定し、この差を埋めるのが学校の役割ということになる。つまり、学校の学びは学年という分断によって可視化された差異を均すことであり、教師は社会から子供の評価を要求される。
■もしこの分断を、年齢という時系列ではなく、発達そのものや興味、家庭状況等で行ったら、どのような学びが起こるのだろうかと思う。発達の差異を均す学習ではなく、差異を生み出すための学習となるだろうし、集団も小さなものとなるだろう。それは何も特別なことではなく、多分大人が共に何かを学び新たな知識や能力をつけていくのと同じだ。
■或いはそもそも分断せずに学ぶことはできないものか、とも思う。不登校やいじめが子供の問題行動として語られるが、もしかしてそれは学年という年齢による分断に端を発するものではあり、子供自身の問題では無いかもしれないから。この辺りはまたうすらぼんやり考えていこう。(月曜日)