漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

フリースクール等フォーラムに出席

■東京で行われた文部科学省主催のフリースクール等フォーラムに出席。朝一の飛行機で東京に行き、文部科学省へゴー。

■今回のフォーラムは全国のフリースクールや親の会などの500人ほどの関係者が集まった。JDEC以上の集まりになった。インターナショナルスクールやブラジル人学校の関係者だろうか外国の人もいて、文科省フリースクールを狭い範囲で考えているのではないことを感じる。下村博文文部科学大臣は、このフォーラムと28日の不登校フォーラムは最後までいると話していて、やはりフリースクール不登校の問題について動こうとしていることをアピールしていた。事例発表の団体や会場の意見交換でも「画期的」「歴史的転換点」と高く評価する言葉が何度も聞かれた。

■下村大臣の挨拶では、不登校児童生徒をダイヤの原石に喩えて、既存の学校では能力が発揮できない人たちと捉え、21世紀の世界に通用する人材を作る場が必要であるという論を述べていた。早い話が、既存の学校に行かないなら行かないでよろしい、不登校の子供には多様な教育を用意するからそこで自分の能力を伸ばしてねという話なのだが、その目的が日本の「未来を切り拓く」(改正教育基本法前文)ためになると教育の多様性に制限を入れる恐れが出てくる。例えば、フリースクール支援が始まった時に「そのやり方では個人の能力が伸びないから支援対象とは認められない」という形で。こうならないことを望む。

■ちなみに、こういうことを可能にしているのが改正教育基本法。能力を発揮して国家の発展に資する人材をより多くするのは教育の結果として行政に求められるものであるし、それを期して教育を行うことには同意する。教育現場が多様な人材が輩出されるように勤めるのは当然だ。しかし、育てられる人材は必ずしもダイヤモンドとは限らない。ダイヤを求めて教育する時、輝かない人はどう捉えられるのか。そして、ダイヤの人も輝かない人も、不登校状態である人は常に能力の発揮を期待される場で生きることに疲れている人であるように思う。そうした圧力から逃れる象徴的な行動として不登校状態になったのに、「学校に行ってないならせめて家では○○できるように」「学校に行けないなら代わりにフリースクールで」という圧力が新たに生まれるとしたら、それは本当に逃げ場の無い世の中になる。(火曜日)