■人はなぜ働くのか。自立のためか。自己実現のためか。だが「自立」という言葉は、それだけの金を払えるか、という問いにほとんど等しい。家賃を払い公共料金を払い電話代を払い食費を払いその他もろもろの生活費を払う。それができて「自立」になる。「自己実現」は、もっと金を払えるか、という問いになる。お前はお前の人生のため、どこまで金を積めるか。そう値踏みされている。
■では社会を支えるためか。しかしこれまた、税金、年金、健康保険その他どれだけ金を払えるか、という問いに等しい。いま労働を通じて発せられる言葉は常に、「金を払えるか」というメッセージを強く含む。社会参加≒勤労で、労働は金を払えるかで、だから金を払えなければ社会参加できない。いつの間にか消費が世の中の基準になっている。
■でも、それは動機としては弱い。外側からムリヤリ燃料を注いで動かそうとしてるだけだからだ。だから逆算しての動きも起きる。いかに支出を減らすか。ミニマムな生活スタイルを築き、それを賄えるだけの収入を得る。物々交換で済ませられるものはそうする。市場から降りる人は既に一部で出てきている。
■といって、それが社会全体に広がるかは怪しい。ベーシック・インカムがよい制度かどうかは分からないが、「金を払えないから社会参加できない」という苦しみを和らげることはできるかもしれない。
■いや、そもそも「払わざるもの食うべからず」な世の中ってどうなの。RCサクセションに「金もうけのために生れたんじゃないぜ」という歌があったが、金はらうために生れたんじゃないぜ。「金払え」以外のメッセージを持たなきゃ、就職活動で挫折して自殺する人も、社会参加の道がなくてひきこもる人も減りゃしないよ、ということをあまりまとめずに話したのが昨日。
■ほかの人の話は、後日まとめたものをくれるということなのでそのときに。ちょっと覚えてられなかった。「ひきこもりサポーター地域総合育成事業〜ひきこもり予防のために何が必要か」。北海道精神保健推進協会主催。
■中学校では昼休みに生徒が遊びに来るようになった。楽しいけどヒマがない。まあ、二週間くらいしたら冬休みだからいいか。余市の訪問では一緒にカラオケに行こうという話に。どうも遊びに流れがちな我が周辺。