漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

市民活動のことを考えてみたよ

■秋になってきましたね。星園の隣の消防署工事は、訓練塔を作る最終段階に入ってきた模様。高さ10メートルくらいにはなるのかしらん。そして、訓練で上り下りする隊員と目が合ったりするのかしらん。

■市民活動は役所や企業といった既存の仕組みでは埋まらない社会のニーズを埋める隙間産業のようなものだが、その活動には隙間を埋める存在ならではの二つの側面がある。一つはニーズを満たす活動を作り、出来ることなら既存の仕組みがそれを可能にするまでを目的とする側面。これが「ミッションを明確に定め、課題の解決を以って社会に寄与する」と相馬が書いたところ。もう一つは、権利侵害や差別、不都合、軋轢などに何らかの困難に直面する人たちと関わり、困難を個別に解決していく中でニーズに気づき、ミッションを作る側面。これは「多くの個別事例の解決からニーズを拾い、以ってミッションを問い直す」とまとめられる。

■この二つの側面は同じ団体の内に必ずあるのだが、どちらが強いかによって活動の指向性が真逆になる。前者は既存の仕組みと協働する性質を持ち、後者は既存の仕組みではあり得ないサービスを提供していこうとする性質を持つ。だから、前者と後者のバランスが大事なのであって、どちらかに偏ると市民活動からは離れていく。後者に極限まで振り切れば、それは楽しいサークル活動であって参加する構成員のみで楽しめば良く、「市民」という括りは要らない。前者に振り切れば、それは役所や企業にどう近づくかが問題になるのであって、構成員とニーズを持つ人の関わりよりも団体と社会の仕組みの関わり、即ち「どう稼ぐか」が前面に出てくる。それにブレーキをかけているのがNPOという仕組みだ。

■この話は公害に対して社会がどう対応するかと似ている。公害病で苦しんでいる人に「工場を全部新しいものにするから、もう患者は発生しません」と言ったところで当人は救われない。逆に「これから後の医療費は全部国が持ちます。生活が困難ならヘルパーも付けます」と患者個人に告げても、公害発生のメカニズムが工場にある以上、そこを変革しなければ公害は続く。社会的なニーズを解決するには、必ず両側面が必要なのだ。

漂流教室をこの視点で見直すと、後者が強く前者は弱い。逆に、スチューデント・サポート・フェイスやezorockは、前者が強く後者が弱いのではないか。誤解の無いように言っておくが、うちの方が個別の困りに向き合っていて偉い、うちの方が社会変革に繋がるように活動していて偉いという話ではない。市民活動はその両方のバランスを上手くとる必要があるので、自分たちの持つ指向性を理解して、逆ベクトルに繋がる側面を意識的に活動したらいいよね、という話だ。或いはその方向性を団体同士で補完しあえばいいのかもしれないが。

■ということで、うちはこれまでの活動をもっと整理して、掘り起こしてきたニーズを捉えた上で、仕組みを考えてるかと反省しなさい、ということですな。(4日)