2009-06-14 三沢がいなくても 日誌 相馬 ■前にも書いたけど、気合をいれるため「週間プロレス」を腹に忍ばせてプレゼンに臨んだ、という中島らものエッセイを読んで真似してみたことがある。中島らもはジャイアント馬場が表紙の週プロだったが、俺は三沢光晴だった。その号はまだ部屋にある。ずっと読み返すことはなかったけども。■三沢がいなくてもNOAHは今日も試合をする。俺もいつもの生活をする。■でも、なんかこう、体重が半分になったような気がするよ。ドームに野球を観に行った。4月のNOAHの興行にも行けばよかったな。