漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

これが噂の花粉症

■気温がプラスの10度近くまで上がったとかで、とても暖かな日。朝、窓でハエを見た。啓蟄も過ぎて、本当に虫も這い出してきたようだ。

■外に出ると鼻がムズムズしてくしゃみが出る。そのうち涙も出てくる。これが噂の花粉症というヤツだろうか。しかし、いくら暖かいといって、いきなり花が咲いて花粉を飛ばすこともないだろう。まあ、雪の下には一冬かけていろんなものが埋まっているので、それが雪が解けて一気に出てきたとしたら、大気中に何が舞ってるかわかったもんじゃない。そういや、黄砂もそろそろ飛んでくるな。

■明日の訪問が1件前倒しになって訪問4件。妙にオヤツの充実した日だった。食べ過ぎてちょっと苦しい。

■昨日はひきこもりのサポート団体「」の講演会に行ってきた。参加者は100人余か。高校生くらいから老人まで、いろんな年齢の人が来ているのが面白いと思った。代表の佐々木さんののんびりした話し方はかなり好感度が高かったと思う。ただ、「源」自体、もしくは新たな試みである「職オヤ」について理念以外の具体的な話がなかったのが残念。あれでは何をしている団体なのかわからない。また、造語は単なる内輪受けにしかならないので使わない方がいいと思う。他山の石としよう。

宿題:高校生の性意識調査

セックス「かまわない」8割 札幌市立高生意識調査 (2/25 北海道新聞


札幌市立高校の生徒の八割が、高校生がセックスをすることについて、「かまわない」と考えていることが、札幌市教委の調査で分かった。全国レベルを大きく上回った格好で、高校生に性感染症が少なくないことを踏まえ、同市教委は新年度にも、市内全小中学校に性教育についての指導計画提出を求めていく考えだ。
調査は昨年九月一日から十月三十一日にかけて、全日制市立高校六校の二年生七百四十六人を対象に実施した。 セックスをすることが「かまわない」「どちらかといえばかまわない」としたのは、男子の87・0%、女子の76・8%。セックスの経験が「ある」としたのは男子の19・0%、女子の24・0%で、初めて体験した時期は、中学三年から高校一年がピークだった。
全国高校PTA連合会が昨年十月、全国の高校生一万千人を対象に行った調査では、「自分自身が高校二年生で、セックスをすること」について、男子の65・4%、女子の58・5%が「かまわない」「どちらかというとかまわない」としたのに比べると、札幌市での「セックス容認率」の高さがわかる。
また、「愛情がなくてもセックスすること」については、男子の35・7%、女子の14・4%が容認しており、さらに「恋人以外の人とのセックス」についても、男子の14・4%が認めている。
同市教委は「高校に入る前から、性に対する理解を深めさせることが急務」として、「新年度中にも、全小中学校に性教育の指導計画を提出させたい」と話している。

■「性の低年齢化」というものを俺は疑っている。ちょっと昔に戻れば、みんな14、15で当たり前に結婚している。童謡「赤とんぼ」にも「十五でねえやは嫁に行き」という歌詞がある。そもそも民法で定められた婚姻の年齢は男子18歳、女子16歳で、なんのことはない、高校生の年齢である。(セックス経験が「ある」と答えた割合が女子の方が高いのが民法の通りで面白い)

■札幌市教委が調査結果を公表していないので、質問項目など新聞記事に依るしかないのだが、「愛情がなくてもセックスすること」という項目も引っかかる。性を語るとき、あまり「愛情」を強調しない方がいいというのが俺の考えである。「愛情がなければセックスしてはいけない」はすぐに「愛情があるからセックスしてもいい」にすり替わる。かえってハードルは低くなるのだ。まあ、それはいい。問題なのは「セックスをするから愛情がある」という理屈にもすり替わりやすい、ということだ。この理屈は、望まない性行為を強いられる状況を生みやすい。

■市教委はこの調査結果をもとに性教育の指導計画を練り直すらしい。願うれば、望まない性行為を強いられるような関係を生まないものにしてもらいたい。それを叶えるのは倫理や道徳、愛情といったものではない。自分の身体を自分のものとして認識することだと俺は思う。モラルを持ち出して規制するのは簡単だが、そこで彼らが学ぶのは、自分の身体は他人に支配され得るということだけだ。それでどうして性行為を強いないことがあろうか。望まぬ性行為を拒めようか。愛情は実はとりまく大人に必要なので、彼らが身体を誰かに任せてしまわないよう、規制なんて真似はやめて欲しい。

■ちなみに、全国高校PTA連合会が行った調査との比較は余り意味がないと思う。全国の高校生(つまり高1から高3まで)に「自分自身が高校二年生で、セックスをすること」についての是非を尋ねたものと、高校2年生に「高校生がセックスをすること」についての是非を尋ねたものでは、前提がまるで違うからだ。そもそもの調査対象が違うし、前者は仮定を含む自分のことで後者は一般論だ。市教委が比べたのか、新聞社が勝手に持ち出したのかわからないが、少なくともこれだけでは「札幌市での『セックス容認率』の高さがわかる」とは言えないんじゃないかな。比べるなら同じ物差しじゃないと。


本日の脳内BGM:酒燃料爆進曲(怒髪天