漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

赤子の泣き声

■市民活動プラザ星園の駐車場が半分駐車禁止になった。冬だからという措置だが、まだちと早かろうに。

■午後からの漂着教室を見ていたら、やってきている子供ら三人がばったりと寝ている。冬の暖房というやつはヤバいね。夏は同じ気温でもそんなに眠くならないのに、何故か眠気を誘う。

■漫画家が飛行機の中で泣いていた赤ん坊がうるさくて我慢ならないので、飛行機の中で抗議したという話。まずは、どこの誰を責めても解決に結びつかない(イヤだなと思っている自分自身をも)アンラッキーな時間を過ごさざるを得なかったのだなと思った。こういう時は、泣き止むか自分自身の心の有り様が変わるか、どちらかになるまで待つしか無くて、辛い。でも、ここで我慢できなくてクレームを入れた自分の行動を正当化するのは、見苦しいな。

■ぼくがそれ以上に気になるのは、この話に赤ん坊や母にそんなことを言うなんてという反応が、ツイッターやらブログでわんさかきているということ。赤ん坊なので仕方ないという意見はもっともなんだけど、うるさいと感じる人のことも考えないといけないでしょう。自分の関わる人を思い返すと、知覚過敏で音に弱い人なんかは地獄のような苦しみになるわけです。泣き声にどれくらい耐えられるかは個人差がある。「子供が泣くのは当たり前で、それを否定するのは未来を作る子供のことを考えていない」みたいな道徳は、それを押しつぶしてしまう。この漫画家も「乗客マナー」という道徳を振りかざして、自分の言うことを聞かせようとしているでしょう。それと同じことをしてはだめだべ。

■完全に突発的な予想外の問題というのは実はそれほど無くて、この場合でも航空会社、泣き声に弱い人、赤ん坊を連れた母、周囲の乗客、それぞれが「この状況に対して自分はこう反応するが、他の人はどうなんだ」とある程度考えて、それに満足するか耐えている。しかし、その対応が上回った時には、どうするかをその瞬間考えて対応することになる。でも、どうか瞬間的に対応を考える時には、道徳は一旦引っ込めて、その場の人で現実的な解決を考えてほしい。この漫画家のように会社に今後再発防止を求めるみたいなことをするのは無意味だ。それはいつか、新たな問題が出る下地を作っている。

■自分にも他人にもどうしようもならない、防ぎようがない嫌なことが起こる場合がある。そういう時は道徳ではなく、その場にいる人達で出来ることや妥協すること、その方法を考えるのがよさそうだ。それが新たな道徳を生むことになるはずだしね。(21)