漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ハロウィンらしいよ

ハロウィーン

■いい天気だ。久しぶりに訪問先でカードゲームをした。

■漂着教室に行くと、写真のようなカボチャのランタンを相馬氏が作っていた。なかなか素敵で、廊下を歩く人も「あら、ハロウィン」とか話しながら通っていく。でも、中を早く乾かさないと、腐りそうだ。

■高校の必修科目飛ばしというのがずいぶん問題になっているようで。それをしていた学校にまたきつい言葉を投げかける人が多くなるのだろうけれど、必修飛ばしを黙認する風土を作り出していたのは国民一人一人が関わってのことだという意識を持った方がいい。テレビや新聞のインタビューを見る限りでは、生徒の文句はこのままじゃ受験や卒業が心配だということであって、必修となっているものを教えてくれないのは学習権の侵害だ、というようなヤツはいない。コメンテーターなんかの意見でよく見るのは、指導要領で定められたものをやらないことはケシカランとか、これから補習を行えば生徒の進路に多大な影響が出るといったものだ。

■必修飛ばしをすることになった下地には、受験に特化した高校が生徒のみならず社会からも望まれていることがあるはずだ。高校からすれば、近年ちょくちょく世間から言われている、受益者を第一に考える「民間企業的な、サービス業的な視点」での教育をしたとさえ言える。また、大学入試という制度で求められる学力を考えると指導要領どおりの授業ではままならないのだから、指導要領というルールを破るしかない。つまり、世論もシステムも学校の論理(=指導要領)ではなく、自分たちの要求する教育をやれと言い続けたりそういう進路形成しかできない形を作ったりしているのだ。そして、その状況を黙認しているのは、とりもなおさず国民一人一人だ。この問題は、この矛盾した状況を乗り越えようとした学校がルールを破ったということだ。でも、結果が子供の幸せにつながっているならばそれで構わないとぼくは思っている。

■犯罪ではないのだから、受験や卒業の心配をしている生徒もルールを守るように言う人たちも、「学校がやろうとした教育はどのようなものか」「自分たちはどのような教育を学校に求めてきたか」「今受けている教育にだめな点はあるのか」を冷静に考えた方がいい。その上で、自分たちの求めている教育が成されないような状態であれば、権利の侵害ということで司法に持ち込めばよい。「指導要領というルールを守らない教育」とか「生徒のことを考えない学校」というような話にしかならないのは、まず自分の立場を明確にしないからだ。ということで、ぼくの考え。今回の件、現実問題としては

・指導要領が有名無実のものであることがわかった以上、必修とされる単位を取らなくても問題はない。
 むしろ、卒業できないことの方が生徒の人生に大きな影響を与える。文科省は単位が足りなくても卒業を認める
・ただし、生徒はその科目を学習する権利が保障されねばならない。希望者には補習を行う。
・来年度に向けて、学習指導要領の見直し、

の三点を実施することが必要かと思う。

■でも、文科省は、補習はしろ、と言ってるみたいだ。ぼくとしては、そっちの方が生徒の学習権を侵害していると思うのだが。