漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

これまで、これから

■週刊雑誌が50号を数えると一年の終わりを感じる。

■毎週同じ曜日の同じ時間に同じ家を訪問していると、どうしても経路が決まってくる。まして、今日のように予定の詰まっている曜日だと、ちょっと違うコースをというわけにもいかない。一方、生理現象はその生理たるが故に毎度そう変わらない周期で訪れる。限られた時間と範囲の中で生理現象を処理しようとすれば、自然、同じ場所を利用するしかなくなる。

■つまり、毎週トイレのためだけに寄っているコンビニがあるのです。いつもいつもそれでは申し訳ないと、3回に1回は何か買おうと思うのだが、別段欲しいものもない。せめてマンガの新刊でも出てないかと本棚を見てるうち、並ぶ雑誌に、ふっと冒頭の感慨にひたる。

■今の自分の状態が「本当はこんなはずじゃなかったのに」と不満足で、その理由を探して苦しんでいる子供たちがいる。自分が今こんなに辛いのは、あの日あの時のあのことが原因だと、親を責め周りを責める。執拗に責める。言ったところで詮無きことなのは、彼らとてわかっている。だが、仮でもいいから、この現状に至った分岐点をはっきりさせぬことには、自分が居たたまれないのだろう。「原因探しは無意味」「過去のことより未来を考えよう」。言うは易いが、簡単に納得できることではない。

■そういう時はひたすら話を聞く。今日も聞いた。その帰り道、お寺の前でこんな貼り紙を見た。「これからがこれまでを決める」。宗教もたまには良いことを言うらしい。

■「原因探しは無意味」とは俺も思うが、それでも聞きたいのが人情で、そこもわかる。だから、せめて嫌がられない質問の仕方を伝えられたらと思う。もちろん子供の様子を見ながらで、こちらの話を聞く余裕がありそうなら、という条件付きだけれども。

■11月11日。ぞろ目の日。走行メーターが222kmな瞬間も見た。


※本日の脳内BGM:硝子坂(高田みづえ