漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

疑っている

■買い物に行ったら加工食品の棚が空っぽになっていて驚いた。普段、みんなそんなにチクワやコンニャクは食べないでしょ。納豆もない、油揚げもない。ぽつんと「カレー麻婆の素」だけ残っていたけど、そっか、豆腐がないからか。

■そういやうちに「にがり」があるな。大豆を買ってくれば豆腐がつくれる。納豆も2パックあるから、納豆もつくれるな。

■なんだかよくわからないが、地震対策本部なり北海道知事なりが発表するものを総理大臣や国会議員が物知り顔で会見している。被害の状況を総理大臣から聞く必要などない。パフォーマンスの場と勘違いしているんじゃないのか。大阪の台風被害はどうなった。岡山の洪水被害は一段落したのか。

中井久夫は『戦争と平和についての観察』で、戦争は「有限期間」の「過程」であるとし、「指導者の名が頻繁に登場し、一般にその発言が強調され、性格と力量が美化される」ようになると書いた。「指導層が要求する苦痛、欠乏、不平等その他は戦時下の民衆が受容し忍耐するべきものとしての倫理性を帯びてくる」とも書いた。「震災の時にも見られた『生存者罪悪感』という正常心理に訴え、戦争遂行の不首尾はみずからの努力が足りないゆえだと各人に責任を感じるようにさせる」と。

■政府は停電を避けるため節電を推奨するのだという。節電自体は間違っていない。だが、そこに欠乏を受容し忍耐させる思想がひそんではいないか。食べ物が、ガソリンが手に入りづらいのは「仕方ない」のか。頻繁な総理大臣の登場はなぜなのか。疑っている。(9/10夕)