■家のテレパスコオロギは数日前から鳴くようになった。単に下手だっただけなんだろうか。
■札幌自由が丘主催「不登校の子どもに聞いてほしい座談会」に行ってきた。子連れで行ったのでほとんど話は聞けなかったが、札幌自由が丘の卒業生からあつめたメッセージ集をもらってきた。10代から40代までおよそ30名が不登校について、フリースクールについて、いまの自分について語っている。当然、「語れる人」の声しかあつまらないわけだが、それでも読んだ人にはなにかが残る気がする。「自分とは違う」と思って放り投げても、10年後、ふと思い出したりするかもしれない。漂着教室に置いておこう。
■前日には石狩で講演をしてきた。これはあとでまとめる。
8/28追記
■石狩での講演テーマは「不登校”支援”の前に」。不登校対応が指導から支援に変わって、とにかくなんでも支援支援の風潮が気に入らない。支援もいいけど、もっとただ普通に過ごすやり方だってあるじゃないと思ってこのタイトルにしたのだが、参加者のひとりから「支援の前に指導が要るって意味かと思いました」と感想をもらう。なるほど、その視点はなかった。
■いろんなテーマを盛り込みすぎて、内容はちょっと散漫だったなったかもしれない。不登校は、子供がいま学校へ行っていないというだけの話でしかない。それが「問題」となるのはもっぱら大人が休みを認められないせいだ。もちろん大人には大人の都合がある。まず仕事に行けない。学校は大人が働くための託児施設だったとコロナ禍で明らかになった。学校に限らない。別室登校だろうがフリースクールだろうがフリースペースだろうが子ども食堂だろうが、おそよすべての「子供のための場所」は大人が大人の思考でつくっている。それが成り立つのは子供が律義に付き合ってくれるからだ。でも、ときには付き合いきれないこともあるでしょう。
■こういった話をまず柱として打ち出せばよかった。資料を見直そう。あと、「大人の都合でつくった場所」から「自分たちの場所」への変化も当然あって、それが得意なのってもしかして学校なんじゃないかという気もしている。教室が自分の場所と思えるようになったのっていつだっけか。そして自分の場所ならば好きに離れるのも可能だ。
■与えられた場所を自分の場所に変えるとは、そのまま民主主義のプロセスにも思える。参加だな。このあたりは教育研究集会とかで聞いてみよう。