漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

困っているうちは

■北海道児童青年精神保健学会での発表を終えた。内容は後日報告するとして、フィーリングはこれ。この歌を聴けばわかる。


www.youtube.com

■「あのころのぼくより今の方がきっと若いさ」。「若い」は「困っている」「迷っている」に置き換えていい。2002年の設立時より、法人化した2011年より、一昨年より去年より、先週より昨日より、いまの俺の方が迷い困っている。「困っちゃったな」って発表ができるうちはまだなんとかなるんじゃないかと思っている。

10月28日追記

■さてあらためて学会の報告。午後のシンポジウムに登壇した。テーマは「多職種連携による不登校へのアプローチ」。最近はすっかり「つながりたくない」ので、どうしたものかと悩みながら資料をつくりはじめたが、結局、「つながりたくない」という結果になったのでそのまま発表した。

不登校は多様な背景を持ち、個別のアプローチが必要、ということになっている。まあ、それはそうだろう。というか、人は全員違うのだから、なんだってそうなる。ほかの登壇者は中学の校長にスクールソーシャルワーカー、心理支援のNPO法人代表。自分たちの活動の「枠」を十分理解し、対処できない課題のため「枠」を超えたつながりを求める。

■かたや漂流教室は対象の広がりに活動内容を削って対処した。なので説明が常に否定形になる。「年齢を問わない」「不登校かどうかは関係ない」「目的を持たない」。「ない」活動を肯定的に言い換えれば「ただ、いる」「ただ、ある」になる。

■「枠」同士が手を結ぶと、隙間が埋まる。「支援」とは制度の隙間を埋めるものなので、それは仕方ない。ただ、あんまり埋まり過ぎると息苦しい。この40年で不登校施策は「適応指導」から「自立支援」になった。不登校は学校への「NO」だったはずだし、「休ませろ」との訴えでもあった。官民が連携しての自立支援は拒否の余地、休養の余地を支援の枠で埋めてしまう。

■「登校圧力」が「自立圧力」に変わっただけじゃ、子供のしんどさは減らない。むしろ期間が延びた分つらい。だから、連携の輪には加わんないよ。離れた場所にいるよと言いたいのだが、難しい。そう訴えたとたん、「離れた場所」は「自立」に必要な「居場所」になり、支援の枠に組み込まれるこの話だって、どうやっても「そのような場所が必要だ」という理屈になっている。どうも言葉とはそのようにしか説明できないらしい。「意味」や「必要性」を拒否しつつ活動を伝えるにはどうすればいいか、まったく困った。最近はいっそ都市伝説になりたい。だいたいそういう話をした。

■言うまでもなく支援に枠組みは必要だ。相手を尊重し自分を守る。それでもはみ出してしまうものがある。自身の現場で枠ギリギリのサポートを模索するほかの登壇者から見ると、子供みたいな内容だったろう。「イヤダイヤだ言ってるだけじゃないか」と。だが、「なんかイヤなんだよね」から始まるものも多分ある。そもそも不登校が「なんか学校イヤなんだよね」なんだし。そして、いつだってイヤな現状はある。

■支援がいらないわけでも連携がダメなわけでもない。十数年前の日誌を読めば教育へ福祉的な観点をとか、官民連携とか協働とか書いているはずだ。ステージが進んだから「つながりたくない」と主張できるようになったとも言える。要は天邪鬼、つむじ曲がりなだけかもしれない。いま書いていることだって10年後にどう言っているかはわからない。

■午前に「こころとそだちのクリニックむすびめ」の田中康雄さんが「不登校の変遷~変わってきたこと・変わらないこと~」という演題で基調講演をした。午後もそのまま残って全体の総評をした。俺の天邪鬼な話も「隣接現実」という言葉で説明してくれた。みなに共通の現実を「主現実」といい、自らの固有の現実を「隣接現実」という。子供はこのふたつの現実を自由に乗り換えて世界を獲得する。漂流教室の活動にその話を思い出した。隣接現実を残そうとしつつ、葛藤を抱えた現実世界の人間が相対することで、向こうへ「行ったきり」にならないのではないか、とのこと。

■なにを話しても「困っちゃったな」って内容にしかならなくて、それこそ困っているのだけど、困っているからいいってことも多分あるんだろう。