■ひきこもり名人・勝山実は自分と同い年であり、ずっと親近感を持っている。『安心ひきこもりライフ』『バラ色のひきこもり』と、「ひきこもり支援」と呼ばれる社会の関わりについて、当事者から見た実態を鋭く書いてきた。今回の新著では、ひきこもり支援を進める国家、支配者、権力者などを「ご主人様」と括り、支援の構造を明るみに出そうとしている。
■就労に支援が偏るのは何故か、しかもその支援から就労に繋がるひきこもりは微々たるものでしかない、一体「ご主人様」は何を考えているのかと考察する。
ひきこもりは病気ではないなんて言ってたけど、気付けば病人と障害者だらけじゃないですか。(中略)ひきこもり支援の成果で無能だと思い知らされて、打ちのめされた人が、自分の心を守るために、原因を病気や障害に求める。病気であること、障害があることを受け入れて安心しているのです。
無能な人間だとして実行される排除、その言い訳をするのは、追い出した側ではなく、追い出された人たちです。(中略)ご主人様による、ひきこもり支援の狙いはここにあります。
■排除をしているのは社会の側であるのに、当事者が自分の中に排除の論理を持つように仕向ける。その装置が支援であり、それは社会の変革に繋がるものではないということだ。本当に就労が支援の中核であるなら、就労できる社会を作る動きが必要であるのに、「ご主人様」はそれはしない。これと似た構造は不登校支援でも同じである。なるほど、不登校に深く関わっている下村博文はひきこもり支援にも関わっていることが本の中でも著されている。
■就労支援以外の支援についても、名人はそれが「ご主人様」に利用されるように構造化されていると考察する。当事者研究も発言するひきこもりも「御用当事者」とし利用して、「ご主人様」は不登校と似た流れで「ひきこもり基本法」を制定するだろうと予想する。これは自分もその方向性に行くだろうなと思う。
■思うに、不登校、ひきこもり、子供、困難女性、ホームレス、生活困窮、すべて世の中が課題として捉えるものに法律ができ始めている。これは、「ご主人様」は特別な権力者ということではなく、課題に該当しなければ皆が「ご主人様」として振る舞う世の中になっているということではなかろうか。それは困難を抱える人々の間でも起こり得るのがまた厄介なのだ。(10/22)