漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

2012年全国大会に関するウダウダした話

■昨日今日と山形で「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会」が開かれている。2012年には札幌でも開催された。主催は登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク(全国ネット)とフリースクール全国ネットワーク(フリネット)。現地への呼びかけは北海道フリースクール等ネットワーク(FSネット)が中心となっておこなった。

〇登校拒否を考える親の会ネットワークでやってきた全国合宿が知らぬ間に全国大会になり、2011年には親の会と関係のない札幌の人たちが世話人合宿に突然現れ、北海道大会をやるということになった。あの頃から奥地氏は理事会にも諮らず、勝手に動くようになった気がする。ネットワークを抜けていく会もたくさん出た。
2024年7月交流合宿のご報告 - futoukou-riberuta ページ!

むかしのことなのでどうでもいいといえばいいが、それでも「不登校りべるた」のこの記述は軽く衝撃だった。

■もっとも思い当たる節がないでもない。2012年2月の世話人合宿の帰りだったか、たまたま空港で一緒になった世話人のひとりに、「フリースクールが全国大会の現地主催者になって親の会はみんな不安に感じている」と指摘された。つながりがあるとアピールした方がいいとアドバイスされ、あらためて道内の親の会に連絡を取った。

■2011年4月の北海道フリースクール等ネットワーク総会資料には、「フリースクール全国ネットワークが毎年開催している『夏の全国合宿』を、2012年度に北海道で開かないかと打診があった」とある。不明点の確認を前提に、「基本姿勢として受諾」と決定。同年7月に高知で開かれた全国合宿(全国大会)に参加し、様子を視察するとともに世話人会議で挨拶をした。りべるたの交流会で話されたのはおそらくこのときの様子だろう。合宿が大会になった経緯は俺も知らない。

■2011年9月、キックオフイベントとして、登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク主催のフォーラムを札幌で開催。当時代表だった奥地さんが講演し、フリースクールの元利用者が体験談を話した。10月、第一回現地実行委員会を開催。なんとなく盛り上がりに欠けたまま終わった記憶がある。

■盛り上がらなかったのにはわけがある。不登校の全国組織はふたつある。登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク(全国大会を開催)と、登校拒否・不登校問題全国連絡会(全国のつどいを開催)。北海道はもともと連絡会に近い親の会が多く、2003年に「全国のつどい」を、それ以外の年も「全道のつどい」を開いていた。当時、全国ネット加盟の親の会は3団体くらいじゃなかったか。FSネットだって、北海道での開催が決まってあわてて全国ネットに入ったくらいで、そもそもなじみのない大会だった。北海道に有力な伝手がなかったのも、親の会ではなくFSネットに白羽の矢が立った理由かもしれない。

(実は2000年にある団体が全国大会の北海道開催に手を挙げたが世話人会議で否決された過去がある。このへんの話もおもしろいのだがわき道にそれるのでおいておく)

■大会をいつ誰が打診したのか。あれこれ資料を漁っていたら、北海道開催の経緯を説明した奥地さんのメールを見つけた。いわく、北海道に呼ばれて講演した際に全国大会をやらないかと持ちかけ、当時のFSネット代表が呼応した。FSネットの了承の返事を受け、全国ネット、フリネットそれぞれの理事会、世話人合宿、事務局会議で検討を重ね北海道での開催を決定した。

■こちらは会議で了解を取ったことになっている。食い違いはなぜ起きたか。2011年という時期にヒントがありそうだ。

2011年2月末に長野県の温泉であった「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の春の世話人合宿で、「親の会」の考えなどは全く無視されたまま、出来上がってしまっていった法案が、初めて親の会の世話人に手渡されました。「ほら、素晴らしい内容でしょう。これができれば不登校の子どももその親も、もう何も悩むことはなく、とても楽になります。素晴らしいでしょう」と、ネットワークの代表は自画自賛していました。

しかし、楽になる根拠が見えません。あちらこちらの世話人から質問の渦。しかし、答えは何も根拠のない「不登校の子どもたちもその親も、もう何も悩むことはなく、とても楽になります」を、壊れたテープレコーダーのように繰り返すだけ、聞くに耐えられず、代表と同じ空気も吸いたくないので早々に中座してしまいました。

南雲和子「『教育機会確保法(不登校対策法)』と『夜間中学』」

ここに出てくる「代表」が奥地さんだ。2010年4月に「(仮称)オルタナティブ教育法骨子案」が発表される。普通教育の枠組みを変える意気込みでつくられた法案だが、あにはからんや、特に保護者から反対の声が上がった。そのあたりの顛末は以前に書いた。

hyouryu.hatenablog.jp

確保法を巡ってネットワーク内に亀裂が生まれた。亀裂は一部のメンバーでものごとを進める隙間を生んだ。亀裂の元になった法案はフリースクールから生まれた。そこでよりによってフリースクールが全国大会を担うとなれば反発もされるだろう。

■実際はわからない。手元の資料と記憶からこうだったんじゃないかと推測しているだけだ。もしかしたら最初から身内でしか話し合ってなかったのかもしれないし。確保法云々で「身内」の勢力図が変わっただけで。

■全国大会自体は、北海道内に限ればやってよかったと言える。連絡会も全国ネットも関係なく、多くの親の会があつまり大会を運営した。まめに連絡を取り、顔を合わせて会議し、終われば飲んだ(本当によく飲んだ)。あそこで生まれた親の会とのつながりはその後の不登校相談会、不登校カフェ開催につながる。手続きに瑕疵があったとしてもそれは全国ネットの問題だ。

■だいたいが、ほとんどの人はこんな述懐に興味はない。俺が俺のために残しておきたいだけ。ただ、当時は事件について知らなかったとはいえ、何度も奥地さんの講演を企画し、権威づけに加担したのは自分自身に腹が立つ。なにが起き、いまどうなっているかは、それこそりべるたのブログを読めばわかる。