■自分の日誌がもっぱら教育ニュースか家事育児になっていて、ふだんの活動が見えづらい(今さら)。といっても、特に訪問はプライベートな部分が多くて難しい。最近の様子をざっくり書くと、
- 小学生と公園でかくれんぼをしたり
- ハローワークで職探しを手伝ったり
- 自作の小説の添削をしたり
- 『ダイの大冒険』を一気読みしたり
- おすすめアニメを教えてもらったり
- ひたすら将棋を指したり
- 歴史について調べたり
そのほか雑談やら悩みを聞くやら散歩やら自転車の練習やら、まあいろいろだ。
■こうやって書き出すと「ふつうだよな」と思う。なにを以て「ふつう」とするかって問題はあるけれど、でも、ふつうじゃないですか。ふたりでこんなふうに過ごすのは。
■というか、そもそも漂流教室を始めて20年、「ふつう」以外のかかわりなんてなかったんじゃないか。たまに衝突したり悩んだりしたけれど、それだって「ふつう」でしょう。
■もっとも、相手もそう感じているかはわからない。変な関係だなと思っているかもしれないし、自分がダメだからこんな状態なんだと責めているかもしれない。なので、俺ばっかり「ふつう」で納得しちゃいけないんだけど、一方で手放しちゃダメな感覚だとも思っている。安心と後ろめたさ。穏やかさと変化の希求。矛盾はいつも自分のなかにあって、それが「ふつう」のことなので。だからきっと「ふつう」で「変」だし、「これでいい」けど「これじゃダメ」で、揺れるうちにいつか訪問は終わるのでしょう。