漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

とまれ、とまれ、とまれ

■車を運転していて、こちらが一時停止標識で止まっているのに行かせようとする人や、右折を待っている時に先に行かせようとする対抗左折車をしばしば見かけるようになったのは、ここ数年のことだ。そうしている人に直接話しを聞いたわけではなくて表情からの想像だけれども、こちらを先に行かせることは思いやりのある行動、優しさの現れというつもりのようだ。歩行者優先とか左折優先という道路交通法よりも思いやりや優しさが優先される世の中はヤバいと思うのだが、最近はこんな記事が出ていた。
news.tv-asahi.co.jp

信号のない横断歩道で一時停止した車にお礼をする取り組みが、千葉県四街道市で行われています。入学式を終えたばかりの新1年生およそ200人が、実際の横断歩道を使って早速、実践しました。

警察官:「止まってくれた車の運転手さんにお辞儀をします。ありがとうございます」

お辞儀をした小学生:「(ドライバーが)喜んでくれるかなって。これからも(お礼を)続ける、止まってくれたら」

四街道市では、信号のない横断歩道で一時停止した車にお礼をする取り組みを進めていて、ドライバーと歩行者が双方に思いやることで一時停止への意識の変化が期待されています。千葉県警四街道署は、コミュニケーションで悲惨な事故を防ぐことができればとしています。

■「コミュニケーションで悲惨な事故を防ぐ」という言葉には特に違和感がある。ルールは事故を防ぐ構造を作ることであり、個人の能力に依らなくても安全が保障されるようにするためにあるのがルールだ。こういうイベントが出てくるのは、大人の中でルールの意義がわからなくなっている層がかなり出ているということなのだろう。そして、ルールに変わって個人のコミュニケーション能力に重きを置くようにする。結果として起こるのは社会の衰退だと思う。

■ただ、すごく長いスパンで見れば、個人のコミュニケーションからルールを決めようという力動も起こってくるのかもしれない。社会が一旦ぐずぐずになってからだとは思うけれど。(土曜日)