漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

しとしとぴっちゃん

■「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を観た。物語の途中からはじまって途中で終わった。「Fate/stay night[Heaven’s Feel]II.lost butterfly」を観たときを思い出す。

■叫んで戦って、戦って叫んで、なにを伝えたかったのかよくわからない。途中で何度か寝てしまった。これが興行収入一位というのは、みんなで集団催眠かなにかにかかってたんじゃないか。

■『鬼滅の刃』ははじめて読んだときは鬼も鬼殺隊も悲惨な生い立ちなのが気になった。これが人気というのは、子供らはなにに共感しているのか。いまは、なぜ鬼は殺されなければいけないのかが気になっている。

■まあ、人を食うからなんだろうけど、人が鬼になるまで追いつめられる社会そのままでいいのか。無惨は世の中に無批判というか興味がないし、鬼殺隊は遺族だからどうしたって鬼を恨む。物語は当事者のあいだだけで進み、その外を問うことはない。じゃあ、なんでわざわざつらい子供時代を描くのかな。それとも、覚えていないだけで、そういう視点もあったのか。読み返したい気持ちはありつつ、過剰な精神主義がめんどうで手が伸びない(『あしたのジョー』ファンの俺が言えた義理ではないが)。

■そんなことを考えつつ寝たら、『鬼滅の刃』は『子連れ狼』とおなじという夢を見た。確かにどちらも殺された家族の仇を討つため、幼い子を連れ旅をする話だ。兄と父、鬼殺隊に元公儀介錯人と立場にこだわるところも似ている。水の呼吸に水鴎流波切りの太刀だしな。

■あ、でもあれか。拝一刀は自ら冥府魔道の鬼となったので、むしろ狩られる側なのか。復讐の金を貯めるため刺客となって無関係の人を殺めるとか、炭治郎は許してくれなそうだもんな。