漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

あのころ好きだったものたち

■暑くってもうやってられんよ…。

小山田圭吾が批判にさらされている。オリンピック・パラリンピック閉会式の制作メンバーに選ばれたことで、20数年前に雑誌で語ったイジメ(という表現ではおさまらない)がクロースアップされた。それはしかたない。批判されて然るべきことをしている。

■一方で、1990年代とはそういう時代だったなあとも思う。件のインタビューは当時読んでいる。でも、読んだという記憶しか残っていない。どう思ったのかすら覚えていない。おそらくインパクトがなかったのだ。それくらい不謹慎さと露悪趣味にたわむれていた時代だった。たわむれることのできた人にとっては、だが。

■しかし、その陰には被害者がいる。当時は見えていなかった。いまは見える。じゃあ、どうするか。

〽若さってなんだ 振り向かないことさ
愛ってなんだ ためらわないことさ
あばよ涙 よろしく勇気
 
うん、ごめんねギャバン。振り向かずためらわず、君が語っていることにかっこよさを感じる自分を批判的に検討していくよ。君の歌に抱いていたかっこよさは過去のものになっていくだろう。
ごめんねギャバン - 漂流日誌

二年前の山田の投稿。この日誌にもときどき出てくる「ごめんねギャバン@札幌」というメンズリブグループの名前にもなった。時間とともに人は変わる。うちにあるコーネリアスのCDを屈託なく聴くことはもうできないだろう。だが、曲になにか変化があったわけではない。俺が変わったのだ。だから、つけなきゃいけないケリは俺のなかにある。あのころ好きだったものたちを、どう扱い、どこに収めるか。なかったことにはできないからね。

■そして、まだ見えていない被害者はいるはずなのだ。その視点を持てるか。