■「小さい空を、のぞいたら。」という連載記事がある。札幌市男女共同参画センターが、札幌に住んでいる人、札幌で働いている人に(依頼しているってことなのかな?)ジェンダーについて書いてもらい、発信している。
今回は、おそらくYouth+(札幌市の若者支援施設)で働いていたと思われる人が担当。若者との会話に無意識のジェンダー規範と差別意識を感じ、自問自答する様子が書かれている。
■おもしろいのは、「カノジョ」や「オネェ」という言葉に「らしさ」の固定概念(『固定観念』じゃないかな)を感じた彼が、一方ではあっけらかんと「自己肯定感」なんて単語をつかっていることだ。「自己肯定感」「第二の地元」「セーフティーネット」「支援」という言葉はいまの俺は注釈なしではつかえない。「若者と同じ目線」「親でも学校の先生でもない大人」なんてのもそうだ。これについては以前、不登校新聞に書いたことがある。気をつけないと言葉はすぐ内側にしか通じない「用語」になる。つかえばなにか言った気になるが、実は理解を遠ざける。
■リンク先では、これらの語句をつかうのに逡巡した様子は見られない。かつて「男性が得意とされる作業」を求められ「これができて男性職員として一人前なんだろう」と受け入れていたように、おそらくいまは「これができてこそ支援職」と吟味せず受け入れているんだろう(見方がイジワルすぎるかな)。でも、それだって「らしさ」じゃないのかな。
■繰り返すが、これらの言葉をつかわないのは「いまの」俺だ。疑うのには時間がいる。この日誌を読み返せば、当たり前につかっていたものがあるのもすぐわかる。だから、ぜんぜん大きなことは言えない。この文章だって、何年か何か月かあとに見返せば、よくこんな言葉をつかったなと唖然とするかもしれない。ほんと、どこまで行っても果てはない。