漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ヒナと親鳥

不登校新聞527号掲載の手記が東洋経済オンラインに転載されています。

toyokeizai.net

子供を学校に行かせようとさまざまな手を尽くしたが奏功せず、親子関係が悪化しただけだった。ところが、自分の態度を変えると子供が心を開くようになった。いまは高校を卒業し専門学校に通っているという「よくある」話ですが、よくあるということは普遍性が高いということですから、記事にする意味はあります。「3つのルール」もわかりやすい。なのに、どうも落ち着きが悪い。

その一方で息子との毎朝のバトルは日々、激化していきました。私は息子のことを全然わかろうとせず、息子の気持ちを、息子自身の言葉で説明することを求めていました。「なんで学校へ行けないの」「言わなきゃわからないでしょ」と

たとえばここ。「私は息子のことを全然わかろうとせず」と「息子の気持ちを、息子自身の言葉で説明することを求めていました」は矛盾します。「私は息子のことを全然わかろうとせず」に続くのは、「自分が満足するセリフを、息子の口から言わせようとした」でしょう。子供は「自分の言葉」で「自分の気持ち」を伝えていたかもしれません(それは、とてもつたないものだったかもしれませんが)。でも、聞きたかった言葉じゃなかったのでさらなる説明を求めた。子供にすればどう答えれば相手が満足するかわかりません。「言葉にできない!」と泣くのがせいいっぱいでしょう。

■もちろんすべては想像です。実際はぜんぜん違うかもしれないし、いずれにせよ親子関係は改善されたようです。では、落ち着いた子供はあらためて自分の気持ちを自分の言葉で語ったのでしょうか。この人はそれを受け止めたのでしょうか。そのことの記述はありません。紙幅の都合で削ったのかもしれませんが、求めていたものが語られて、それを書かないで済ますとは考えづらい。結局なにも話していないのではないか。

■そうなると、「この人だったらわかってくれると思うから、すべてをぶつけてくるんだよ」というアドバイスもピント外れに思えます。やめてほしかっただけで、わかってほしかったわけじゃない。しつこく責められるから応戦していただけなのではないか。「当時の息子から出てくるのは暴言ばかりで、私はサンドバック状態でした」とありますが、その前に息子をサンドバックにしていた反動とは考えられないでしょうか。それが一見「いい話」でコーティングされているのが、どうにも落ち着かない理由です。

■文中、「啐啄同時」という言葉が紹介されます。鳥のヒナは孵化するときに殻の中から鳴く。それを聞いた親鳥は外から殻をつつく。かくしてヒナは卵から出る。なにごとも時がある、好機を待てという意味です。ところで、鳥は(人の価値観でいう)愛情でヒナの世話をするのではありません。親鳥が雛の世話をするのは幼鳥の鳴き声に反応しているだけで、その証拠にヒナの声帯を切って声を出せなくすると、親鳥はつついて殺してしまう。親の望む声を出さない子は殺される。ヒナと親鳥にはそういう別の話もあります。

■以上、「親」「親」と書きましたが、これらはすべて「大人」と読み換えてかまいません。