漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

さよならもみじ

■長い事飼ってきたもみじが火曜日の朝に亡くなった。前日の夜に帰宅したら顎に出来ていた化膿したデキモノが破れ、それ以外にも何か体液が床にこぼれていた。多分帰宅するのを待っていたのだろう、ふらふらと歩いてきて、様子を見ると体も汚れているので床と手足に着いている体液を拭き、いつものように餌と牛乳をあげてみた。が、食べない。この時にはまだ前回具合の悪かった時と同じように思えた。

■しかし、その後どんどん立つことが難しくなり、歩こうとしてもフラフラとして倒れるように寝転がる。辛そうなので抱き上げるが生来の多動キャットであり、下ろせとくねくねする。下ろすと立とうとして、へたり込む。とりあえず床で寝ているので様子を見ていた。

■大好きだった牛乳も飲まない。体を触るといつもより体温が下がっているのが分かる。なので、やはり抱いてやることにした。少し暖かくなると少し動けるようにはなった。一度下ろして布団を敷き、そこに寝かせた。ややしばらく寝転がっているが、そのうちにまた動こうとする。好きにさせてやると、テーブルの下に行った。そういえば、ぞんざいな扱いが好きだったと思い、こちらが椅子に座って足で頭をぐりぐりするとそれは受け入れていた。しかし、また歩こうとしてへたり込むので、もう一度布団に連れて行った。

■そもそもそんなにくっついてこない猫だったが、この時には随分とくっついてきた。頭を寄せ、おでこをくっつけてきた。また寒くなってきたのだろう。枕元にいるのを布団の中に入れて、横向きになり抱いてやった。明日になって生きていたら病院だな、と思いながらこちらもCPAPをつけて眠ろうとした。うとうとしている中でホルスが皿をがちゃがちゃ言わせて餌をねだっていたが、もみじを抱いていた。そのうちに、自分は浅い眠りに入った。

■朝方、抱いていると少しもみじがけほけほと咳のような、えずきのような音を出していた。多分、その時に亡くなったのだろう。七時半過ぎに目が覚めると、もみじは既にこと切れていた。死ぬと体液が出ると聞いていたが、口から血の混じった体液と尿をもらしていた。体はまだ暖かく、柔らかいままだった。何度も撫でた。そして、関係者に連絡をした。こういう時にすぐ連絡が出来る人と繋がっていられるのは、現代の強みだなと思った。幸い、相馬が午後一時までは漂着に居てくれるというので、それまでお別れさせてもらうことにした。ややしばらく、部屋でたたずんでいた。

■シーツと掛布団カバーはすぐに血の染みをオキシクリーンで洗った。すぐに消えたのには驚いた。布団を干してから、火葬に連れて行くために段ボールの箱に入れようとしたら、その時にはもう体がこわばっていた。尻尾だけが柔らかかった。

■亡骸を車に乗せ、コインランドリーにシーツ類を入れ、今まで何度も預かっていただいた井口さんの家に向かった。井口さん親子は花を手向けてくれ、もみじのことを撫でてくれた。ありがたかった。そして、新川にある火葬場に行った。市がやっている火葬場は骨を拾うことはできない。祭壇の前に亡骸を置き、線香をあげて冥福を祈ると、後は帰るだけだ。最後に、一度だけ顔を見て、さよならとつぶやいた。