漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

禁煙・禁酒のこと

■茂木さんの妊娠をきっかけに禁煙を始めたのが二年前、今年の一月からは禁酒をしている。という話をすると「辛くないですか」と「体調はよくなりましたか」というのが尋ねられる二大質問だ。なので、ちょっとこれについて考えてみる。

■タバコはロングピースというきつい銘柄を一日5本くらいのペースで吸っていた。酒は夜勤仕事が無い日は大体飲んでいた。自宅ならビールや酎ハイを2、3本、あるいは日本酒2合、ウイスキーストレートで2杯くらい。たまに、夜勤明けでそのまま寝られる日には朝に飲むこともあった。この状況でそれぞれを止めているのだが、禁酒も禁煙も辛くないかというとざっくり言ってそうでもない。まあ、タバコに関しては身体的な依存というのが無かったのだろう。酒は2か月の禁酒が出来ているが、タバコよりも続けるのに意志を使う必要があるので、やや身体的な依存もあったのかもしれない。

■身体的な依存から抜け出る辛さが無ければ、後は「吸いたい」「飲みたい」という気持ちをどう扱うかで禁煙・禁酒の継続は決まると思う。まず、欲求が出てくるのは、何らかのきっかけがある時だ。例えば、めんどくさい考え事をして行き詰った時やご飯を食べて満足した時にはタバコへの欲求が、おいしい料理を作った時や友人らと楽しい飲み会の話をしている時には酒への欲求が出てくる。このように、喫煙・飲酒をすると素敵な状態になる、という予測が生まれる出来事に身を置くことがきっかけになり、タバコや酒をやりたくなる。この時に自分はタバコや酒を最初からニコニコと美味しく楽しんだわけでないことを思い出すようにしている。元来タバコの匂いは嫌いなもので吸い慣れるまでは大して良さがわからなかった。酒も楽しんだ時間もあるが悪酔い、泥酔、二日酔いとならないように気を付けつつ楽しんでいるものだ。欲求が出ている時には、それぞれのマイナス面がまったく見えなくなり素敵さだけが前に出てくる。それに敢えてマイナス面を思い出すことで、タバコや酒の評価を一旦プラマイゼロにする。

■大事なことは多分この「プラマイゼロ」なのだと思う。ここで一気にマイナス面だけを取り上げて「吸わない」「飲まない」という決断に持っていくことは自分はしない。「あー、タバコの匂い着くのいやだったなあ」とか「酒飲んだら、なんか内蔵疲れる感じあるよな」とか思い出してそれぞれの良さに対置して気持ちをフラットにした上で、「さて、おれは色々理由があって今止めていて、止め続けたいとも思っているのだが、今回はどうするか」と自問自答することにしている。なので、禁煙も禁酒も100%まったくやっていないわけではない。月末の宴会でスタッフがタバコを吸うのに付き合って楽しむこともたまにある。酒は一回だけ、禁酒しようと決める前から予定を入れていた一年越しの飲み会の時には飲んだ。

潔癖症的に禁煙・禁酒をしようとすると、多分それぞれのプラス面を感じること自体に罪悪感を持ったり、マイナス面を過大評価してそこに寄りかかって止めようとするのが苦しかったりするのではないか。そして、その苦しさの中で元々なぜ自分が止めようと思ったのかをないがしろにしてしまうのではないか。内的動機が失われれば、欲求への抵抗はとても難しくなるだろう。今回自分の禁煙・禁酒が続いているのは、そうした潔癖症的感覚を持たずにやっていることで、内的動機を失わせないようにしているのだと思う。体のことは、次のネタにとっておこう。(水曜日)