■20代後半、二年くらい教材会社のアルバイトをしていた。教材を買った家庭に勉強を教えに行く。車はなかったので移動は公共交通機関。帰るときにはバスがないということもざらだった。
■最寄り駅までは徒歩で40分。外は吹雪。フードを目深にかぶり、つもった雪を漕ぐ。雪が音を吸収して、あたりはやけに静かだ。靴が雪を踏む音だけが聞こえる。
■雪のなかをただ歩いているとだんだん頭がしびれてくる。雑音が消え、雑念が消え、それでも奥の奥の方でやっぱりなにかを考えている。
■いくぶん感傷めくが、あの時間が好きだった。20年たって、あのときなにを考えていたかすっかり忘れてしまったが、誰に抗するわけでもなく、誰に伝えるわけでもない。ただ自分のために自分のなかから出てきた言葉をつむぐ。その体験は単純に気持ちよかった。
■いや、むかし話にする必要はない。また雪のなかに踏み出せばいい。あのしんとした世界への入り口はいまも開かれている。自分がめんどうくさがって歩かなくなっただけで。
■こんな気持ちのときに読みたくなるマンガ、吉田聡の『七月の骨』はどこへいってしまったのでしょうか。誰かに貸したんだっけか。もうあきらめて買おうかな。