漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

見るなと言われても見らさる

東洋経済オンラインに函館圏フリースクールすまいるの庄司さんが書いた記事が載っていた。
toyokeizai.net
■元は不登校新聞の掲載で、そのときもいいこと書くなと思って読んだ。転載も納得だが、あらためて読み返すと細かいことが気になった。

「見守る」ために大切だと私が思うポイントは「子どもについて知らないことをどれだけ増やしていけるか」ということです。

こう書くとおかしなことに聞こえるかもしれませんが、子どもにとって見守られていることへの緊張感をどれだけ取り除けるか、ということです。

(~中略~)なぜそう考えるかと言うと、子どもが不登校になってつらいと感じることの1つが、「見られること」だからです。

それはそのとおりなのだが、さて、「見ない」ことがはたして可能か。だっておなじ家にいるのに。見たくないのに見えてしまう/見られたくないのに見られてしまうのがそもそもの課題で、保護者にすれば「せめて外に出てくれれば見なくて済むのに」と言いたいのじゃなかろうか。

■妙なたとえだが、虫刺されに似ている。気がついたら赤く腫れてかゆい。掻いたらよけいひどくなると言われ、懸命に我慢するが、かゆいものはかゆい。なにをしていても気になる。気になればよけいにかゆい。

■治す方法はない。いつになるかわからないが、かゆみが引くのを待つだけだ。せいぜい軟膏を塗って緩和する(本を読む、親の会へ行く)か、手袋をして物理的に遠ざける(外出する)かしか策がない。原因をさかのぼっても解決できないところも似ている。

■生活のなかにポツンと生まれた違和感。掻くなと言われても掻かさるように、見るなと言われても見らさるだろう。わざわざ北海道弁で書いたのは意思だけでどうこうなるものじゃないからだ。だって、そこに気になるものがあるんだもの。どうしたって見らさるじゃないか。
hyouryu.hatenablog.jp
■今年の一月にこの日誌を書いたときは「見ないふりをして見ている」っていいなと思ったのだけど、いや、いまでもいいなと思うのだけど、そこまで自制しなくとも済む方法はないもんだろうか。まあ、出かけちゃうのが手っ取り早いんだけど、子供が小さいとそうもいかない場合もあるし。それに「見てほしい」「見ていてほしい」瞬間もあるんだよな、子供って。そこが虫刺されと違う。