漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

わたしのうた

■札幌市で起きた2歳児虐待死事件で、管轄の札幌市児相ではなく無関係の道児相に苦情が殺到、業務に支障をきたしているらしい。googleのレビューにも激しいバッシングが並ぶ。思い込みで脊髄反射的に相手を叩く。先方の都合、被害は考えない。本人は誤りを正してやったつもりなのだろうが、虐待だってたいていはしつけの名の下に行われる。すぐカッとなり、反省させるためには暴力的な手段も辞さない人たちがたくさんいる。虐待のなくならぬわけだ。

■センセーショナルな事件が起きると、百家争鳴、それぞれがぞれぞれにいろんなことを言い募る。言葉の洪水におぼれそうだと思いながら、それをあらわそうとするとやはり言葉しかない。

■「犯罪に走るのはひきこもりの中のごく一部であり、多くはそんなことはしない」という人がいる。確かにそうだ。だがそれは「少数のおかしなヤツのせいで大勢が迷惑を被っている」というメッセージになってないか。「他人に迷惑をかけるな」という世論を強化しやしないか。

■「社会的孤立」の「社会的」は必要なんだろうか。単にひとりだというわけではない。所属コミュニティがない、頼れる人や場所を持たない、そのような状況を指す言葉だというのはわかる。個人の問題ではなく、社会構造の問題だから「社会的孤立」。それでも、もし自分がそう言われたら、「社会」に激しく反応してしまいそうだ。「社会」に入れない落伍者と言われた気がするだろう。

おしゃべりな絵かきや 説明が得意な小説家はもうたくさんだよ
使い古した言葉に輝きこめて 話し続けたいんだ

あなたに届け私の声 未熟な言葉に魂を注ぎ込み
あなたに届けあなたに届け わたしのうた

片桐麻美の「わたしのうた」は高校生のころによく聴いた。市中に出回る言葉を無自覚につかっていると、だんだん感覚が鈍ってくる。自分の言葉が濁る。もっとごつごつした手触りがほしい。

わたしのうた / 片桐麻美