■こんにちは、ボラスタ高橋です。うーん、なんかあんまり日誌にあげるのもどうかなと思いつつ、自分のなかでもやもやするところでもあり、なんとなく沖縄の小学生ユーチューバーの「ゆたぼん」のことについて考えていました。
■とりあえず、その本人がやっていることも、それに反応している人たちの意見も、どれもこれもしっくりこないんですよね。小学生相手に大人が意見するにはキツすぎるかなとか、不登校は不幸じゃないから学校なんか行かなくていいぞ!はなんかよくわかんないなあとかうーん、とりあえず端から見ててもちょっとなんか嫌な気持ちになる。
■んで、自分の考えと違うなと思ったのが、彼は「学校という場所に行くと自分がダメになるから行かない」ことを選択したと読み取れるんですが(違ったら申し訳ない)、自分は「学校は行かなければならないのに、行かないという選択をしている自分はなんてダメなやつだ」と思ってたんです。特に「学校」自体がダメなものだと思ったことはなかったんです。
■こうなると、単に「不登校」と言っても、考えてることが違っていて、例えば自分が「不登校の当事者です」って誰かに話をするのも、種類が違う話になってしまうというか、「当事者だからみんな同じ体験をしているわけじゃない」ことがとても明確になった気がしたんです。前々からもきっとあったんだろうけどね。
■これも時代の移り変わりだろうかとかふと思いつつ、「不登校を経験した」という自分のベースの一つが「不登校」だけでは相手に伝わらないものになっていくのだろうかとゆらゆら思ったわけです。
■でも今は「今月来月は節制を心がけよう」、と思っていることで頭がいっぱいです。